「たま」というと、もはや20代以下の人には記憶すらないかもしれない。30代以上の多くの人には「一発屋」として記憶されている傾向がある。「さよなら人類」があまりに大ヒットしてしまったからだ。
ところが、彼らは2003年まで活動し、天才的としか言いようのない、驚くほど素晴らしい楽曲を作り続けていた。
メンバーは
知久寿焼(ボーカル、ギター、ウクレレ等)
柳原幼一郎(ボーカル、アコーディオン、ピアノ等)
石川浩司(ボーカル、ドラムス、等)
滝本晃司(ボーカル、ベース等)
なんと、全員が歌えるバンドというのも凄いところー。
目立つヒットもなく、いつの間にかメジャーシーンから姿を消していた・・・。一般的にはそんなイメージかもしれないが、実際はまったく違う。
おそらく、通常のレコード会社と契約して、プロモーション活動を行っていれば、メジャーシーンで売れ続けていたのではないだろうか。
けれど、彼らの生き方や価値観は、そんな大量消費的な音楽ビジネスとは、あまりに合致しないもので、このあたりに彼らが率先して地下に潜っていった理由があると思う。
ファンとしては、あまり知られて欲しくない。知る人ぞ知る、天才音楽集団であって欲しい。
けれど、生き方も含め、この時代に彼らの曲が知られていないのは、おそろしくもったいない気もする。
そんな訳で、いつまでも古びない、「たま」の魅力を紹介する。
ノスタルジックで普遍性のある、可愛く奇妙な世界に虜になってしまうことと思う。
「いか天」こと「いかすバンド天国」で衝撃のデビュー
伝説的な音楽番組、三宅裕司のいかすバンド天国
アマチュアバンドが対戦形式で登場し、頂点をきそう
M1グランプリの音楽版みたいな番組だ。
ブランキージェットシティや人間椅子など、他にも
アクの強いバンドを色々輩出したのだが、
「たま」は、この番組に出演して一躍有名になった。
あまりのインパクトに早速視聴者は魅了され、
一夜明けるとすでにメンバーは街頭で追いかけられたという。
焼け跡のフォークロア
このアングラ演劇みたいなセンス。
毎回変わる、幕間の台詞、裏声を使った歌い方、
萩原朔太郎ばりの奇妙でノスタルジックな歌詞の世界。
家のない浮浪児みたいなファッション。
「あんまりの心寒さに裏庭をほじくり返してると
かなしい色の水がわいて あふれるばかりの水がわいて
だあれも知らなくなっちゃった 遠い砂漠の隊商が 行列になってく汲みにくるよ」
「夕暮れの空に金魚を追いかけ、
ぼくらは竹ざおみたいな脚を
土手につきさしてさまよった。
(略)
そんなさびしい上空で、
金魚の記憶がないてるよ、金魚の記憶がないてるよ。」
不思議なのは、戦後生まれなのに、じわじわっと、どこからともなく、第二次世界大戦後、空襲で焼け野原になった日本の風景をイメージさせることだ。
焼け野原に立った孤児の心象風景というのがピッタリくる。
星を食べる
ちびまるこちゃんの主題歌にも使われていたこちら。
ベースの滝本晃司が歌う名曲である。
ファンタジックでシュールな可愛い世界だが、実は子供向けアニメということでだろう、カットされていた歌詞があった。
「化石のとれそうな場所で 星空がきれいで
ぼくは君の首をそっとしめたくなる。
大きく開いた目に僕の背中の空の
星がたくさんうつって それはきれいだな」
柳原幼一郎と知久寿焼のコーラスはものすごく音が調和して、違う世界につれていかれそうになる。
電車かもしれない
近藤聡乃(こんどうあやの)さんのアニメと歌の世界が合いすぎて、腰抜かすレベル。
妖怪なんだか、ゴーストなんだか分からない、このおかっぱの女の子が乱舞するのが可愛すぎ。
平成14年度[第6回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門奨励賞はじめ、色々な章を受賞した傑作動画だ。
歌詞もまたすごい。
「ここに今、僕がいないこと、誰も知らなくて。
そっと教えてあげたくって。君を待っている」
「僕らは生まれつき、体のない子どもたち」
「僕がいること」を誰も知らない、のだったら普通だ。
そうじゃない。
「僕がいない」「存在してない」ことすら気付いてもらえないという状態なのだ。
どれだけ切実な孤独感なんだろうかと思ってしまう。
そしてやっぱりどこか、帰る家をなくしてしまった子どもの夢みたいに郷愁とノスタルジーを感じさせる。
「たま」解散後、パスカルズでの活動
PASCALS(パスカルズ) - 野のなななのか nononanananoka [AOYAMA Cay, Tokyo, JAPAN - 2014-03-19]
解散してしまってから、基本的にメンバーはソロで活動を続けているけれど、知久寿焼と石川浩司は、パスカルズという楽団に参加している。
この楽団も、「たま」とフォークロアテイストは共有している。
海外でも人気で、フランスでもCDが発売されている。わざわざ日本まで見に来るフランス人もいるほどだという。
動画の曲は、大林宣彦監督の映画「野のなななのか」の主題曲に使われたもの。
思わず口ずさんでしまいそうなキャッチーなメロディーラインと時代をこえた、温もりのあるサウンドが、心を落ち着かせてくれる。
消費社会とは一線を画する「たま」の生き方
音楽性はもちろんのこと、なんといっても、彼らの生き方は魅力的だ。
野良猫みたいで。
レコード会社と契約して、消費社会にのっていけば、
たぶんもっと莫大な金額を稼ぐのは簡単だったのではないだろうか。
でもそういう路線に、ナチュラルに肌感覚で違和感を感じていたのが、すごいところ。
紅白歌合戦(昔は今よりも、もっとステータスがあった)に出場した時も、ばからしかったらしく、出番が終わったら即会場を抜けて、遊びに行ってしまったという。
20代の若者が、一夜にしてスターになったのに、自然体で派手なメディアの世界からは、いちぬけしてしまう。
確かに、レコード会社に所属すると、色々規制もあって、自分たちが本当にやりたいことはしにくくなるんだろう。
何よりも、ショービジネスの虚栄にとりこまれるのはまっぴらごめんだったのだと思う。
知久寿焼も、野良度が高く、前歯が折れても、歯抜けのまま治してない。
今は全国のライブハウスをまわりつつ、休みをとっては、大好きなツノゼミという虫の採集にタイなどに出かけているそうだ。
彼にギターを教えてくれたのは、親戚のおじさん。
流しのギタリストだったという。
おんなじように、民衆に密着したところ、生声の届く範囲の規模で、歌うたいをして生き延びている。
本当に理想的な生き方にみえる。
かつてよりは数少ないが、ファンにはしっかり愛されていて、大金は稼がないけど、目の前のお客さんに歌を届け、趣味にも出かけ。
まさに「好きなことだけ」をして、等身大で生きている。
メディアや世間に振り回されなくてもいい。
誰にも飼われていない。
やはり「さよなら人類」で爆発的に売れたことも、こういう生き方を可能にしているのだとは思うが、メンバーの発言からは
「いつかは死ぬ、それなら好きなことをしよう、最大限この世界を楽しもう」という生き物としての健康な確信が底にあるようにも思われる。
大ヒットを飛ばして、その後引退という路線は難しいかもしれないが、
(大ヒットを飛ばすのがハードル高い・・・汗)
お金はそんなに儲けなくていいから、なるべく好きなことだけして、生きていきたい。
貨幣経済になるべく巻き込まれないようにして、低収入でもしあわせに生きていける方法を見つけだしたい。
そんな気持ちを後押ししてもらえる。
ものをつくるのが好きな人、何か創作や研究など好きなことを中心に人生が回っている人は励まされることうけあいと思う。
知久寿焼についても記事書いてますので、最近の知久さんの活動をご存じない方は読んでみてくだはれー。