ちょい虹:映画情報

人生道草しまくり迷いまくりのstray dogが遂に故郷を見つけるまでの物語。

20代のうちに読んでおくべき、おススメの思想・哲学書の基本文献をチョイス!

20代はまだ、体力も気力もあるし、新しいことを吸収しようとする好奇心もいっぱいの年代だ。この時読んだ本は、確実に心の培養土になってくれる。一生、心の一部になってくれるのではないだろうか。

そんな支えになってくれる本のおススメをピックアップ!軟派から硬派まで、やや硬派多め・・・。

フリードリヒ・ニーチェ「この人を見よ」

”神は死んだ””ニヒリズム”で知られている、フリードリッヒ・ニーチェ。

そのせいで、やたらとニヒルで陰気なイメージはないだろうか??

実は、ニーチェは、めっちゃ陽気です!

フランスの哲学者、サルトルも「ニーチェは冗談がうまい」と言っている。

 

そのニーチェのユーモアが、ウルトラ凝縮されているのがこの一冊!

ただし、もちろんただのユーモアではない。この本を出した後に、ニーチェは

発狂してしまう。(道端で荷物を運ぶ馬の首に抱きついて、おいおい泣いたというエピソードは有名だ)

それだけに、読者は「ニーチェ、果たしてこの言葉は真面目に言っているのか?それともジョーク?それとも、この時点ですでに狂ってるの?」というスリルを読みながら味わうことになる。

 

なにしろタイトルからして凄い。「この人」=「ニーチェ」である。つまり、「俺を見ろオ!」である。それから章のタイトルもいかれている。

第一章「なぜ私はこんなに賢明なのか」二章「なぜ私はこんなに利口なのか」三章「なぜ私はこんなに良い本を書くのか」そして最終章は「なぜ私は一個の運命なのか」

である。これはたぶん、ニーチェ一流の冗談だと思う。

 

この時ニーチェは、かつての師匠からも、ほとんど誰からも著作の価値を認められていなかった。でも手応えは感じていたのだろう。こうなると、もう開き直って、自分で誉めるしかない!のである。

デリダの脱構築やフーコーの言説と権力など、数多くの現代思想にインスピレーションを与えているのがニーチェの思想。

一人の人間の中にも、ひとつの意志の中にも、さまざまなミクロレベルの傾向、力がたえず抗争状態にある、というビジョンが中心になっている。人の存在も、環境との相互作用に過ぎない、というのは爽快感がある。

この本の中では、珈琲は気分を暗くする、とか紅茶は一日に薄めを数杯に限る、とか、ドイツの食べ物は思想に有害、とか、なにやら生活に関するアドバイスまでしてくれちゃっている。

 

ミシェル・フーコー「知への意志(性の歴史1)」

哲学、社会学、文学など人文学分野に、巨大なインパクトを残したミシェル・フーコー。彼の書いたノートは、何トンにも及ぶという。

(勉強量にびびります・・・)

中でも、フランス文学者の渡辺守章先生の名訳で、とっても読みやすく、

フーコーのいう「ディスコース(言説)」とは何か分かりたいときに、

内容的にも超重要ポイントが詰まっているのが、この本。

ホモセクシャルだったフーコー独自の問題意識から、

いかに教会での告白制度が、性体験にともなう罪意識を人々に味あわせ、

その体験を物語化し、人々を内面的に統治していったかを鋭く指摘している。

さらに、この構造は、1900年のフロイト夢判断刊行以降、精神分析が受け継いだことの指摘も鋭い。

人々が作り出す物語は、いろんな権力が闘争を繰り広げる場所でもありことを明確に描き出している。

翻訳の文章が明快なので、読んでいて心地良い。

 

ジークムンド・フロイト「夢判断」

1900年。ニーチェがちょうどこの世を去った年に刊行されたのが、精神分析の始祖となったフロイトの「夢判断」。

文学や哲学を勉強する予定なら、必読の一冊。

・・・なんだけど、めっちゃ眠いんだよね。

フロイトの本って、独特の、もんのすごく淡々とした口調で書かれていて、

読んでいると絶賛眠気が襲ってくる。

こういう先生、いるよね。

話聞いてると、催眠術かけられてるんじゃないかって喋り方の先生。

フロイトの講義も相当眠かったんじゃないかって思ってしまうが・・・。

 

彼の思想形成には、ドストエフスキーやニーチェの影響もあったらしい。

 

マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」

ハーバードの白熱教室とかで売り出す本の走りになった、マイケル・サンデルの講義録。

 

1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか? 金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公正なことだろうか? 前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか――。

哲学は、机上の空論では断じてない。金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。

アリストテレス、ロック、カント、ベンサム、ミル、ロールズ、そしてノージックといった古今の哲学者たちは、これらにどう取り組んだのだろう。彼らの考えを吟味することで、見えてくるものがきっとあるはずだ。

日常生活にみちみちる問題の数々を哲学で考える。むしろ、哲学がいつでもひそんでいることを教えてくれる。

実践的な問いなので飽きないし、もとは講義なので読みやすい。

 

ジュディス・バトラー「ジェンダー・トラブル」

LGBT、クィア、フェミニズム、ジェンダーを考える上では原点となっている、

不可欠の傑作。

性意識と生物学的な性の不一致に苦しみながらも前向きに生きていたり、生きようとしていたりする人たちがまっとうな生活を送れるために、もしくは送れる可能性を高めるために本書を世に送り出すことにした、とバトラーは言う。

本来的な「男性性」「女性性」というものは存在せず、それは立ち居振る舞いや、「女の子らしく」「男らしく」ふるまおうとする「演技」の中で、つねに構築され続けていくものだ、という「パフォーマテヴィティ」という概念を打ち出した画期的な本。

ドラアグ・クイーンなどのように女性性を過剰に演じることで、それをパロディ化し、もともとそれが演技に基づいていることを、あばいてしまう行為についても言及。

世の中の性別意識と違和感を感じている人には、多少なりともスッキリしたり気持ちが楽になったりするかもしれない。

 

ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」

広告デザインに大量に芸術が投入され、シミュレーションが隆盛を極めている現代は、ネットの登場により、さらに新たなフェーズに開かれていこうとしている感があるが、近代の大量生産時代における芸術を考える上での基本文献。

昔はアートっていえば教会で使われて礼拝されていたものだが、

今は「展示」されるものに変わったね、という見方。

そして、民族の優秀さや兵器の効率性、美を強調したナチスについて「政治の美学化」として、その反対である「芸術の政治化」によって対抗しようと宣言する。

今の日本でも、やたらと政治で「美しさ」が強調されていて、ひとごとでない・・・。アートで皆と対話し、つないでいく可能性はどれだけあるだろうか。

 

ベンヤミンの文章は、ともかくキラキラと繊細で、凪の海を見るように美しい。彼の紀行文や生い立ちを記した文章などは、ちょっと短い小説としても読める。眠る前に読むと癒されます・・・。

そういうエッセイ群は、ちくま学芸文庫のベンヤミンコレクション(3)記憶への旅に収められているので、興味ある方はぜひ読んでほしい。

 

岡本太郎「自分の中に毒を持て」

思想書というよりは、自己啓発書だけれど、何かやりたいことがあるのだけど、決断できない、怖くて迷っている、など人生の岐路に立たされた時に、この岡本太郎さんの言葉には、何度も背中を押してもらったのでご紹介。

あたりまえの人間なんて屁の役にも立ちゃしない。いつも興奮と喜びに満ちた自分になる。

瞬間瞬間を生きているか。ほんとうの自分を貫いているか。「才能なんて勝手にしやがれだ」「ダメ人間なら、そのマイナスに賭けてみろ」 今も鋭く問いかける、生涯芸術家岡本太郎からのメッセージ。93年刊の新装版。

 

 シモーヌ・ヴェーユ「重力と恩寵」

信仰とは何かを考えたい時に。

「重力」に似たものから、どうして免れればよいのか。―ただ「愚寵」によって、である。「恩寵は満たすものである。だが、恩寵をむかえ入れる真空のあると ころにしかはって行けない」「そのまえに、すべてをもぎ取られることが必要である。何かしら絶望的なことが生じなければならない」。真空状態にまで、すべ てをはぎ取られて神を待つ。苛烈な自己無化への志意に貫かれた独自の思索と、自らに妥協をゆるさぬ実践行為で知られる著者が、1940年から42年、大戦 下に流浪の地マルセイユで書きとめた断想集

 無神論ギリギリのところまで突き詰められた神への思慕を断章スタイルで書いている。日記の中で書き付けた言葉たちなので、第二次大戦の困難な状況下でみずからを支えるために、呟き続けたものなのだろう。

読んでいると、不思議と心が静かに、落ち着いてくる。

他人に苦しみをあたえること、それは、他人からなにかを受けとることである。なにを受けるのか。

苦しみをあたえたら、いったいなにを受けるというのか。(そして、あとになってそのひとになにをお返ししなければなら
ないのか。)

われわれは他人に苦しみをあたえるとえらくなったような気がする。いわば、われわれは膨張するのである。それは他人を傷つけ他人に真空状態をつくることによって自分の真空を生めてしまうからにほかならない。

 シモーヌ・ヴェーユの言葉より

社会的地位の高い人々が、一般庶民を見下すのも問題だが、逆に一般庶民が、いたづらに彼らを見上げることも罪つくりだというくだりなども、新鮮な説得力があった。

 

三浦俊彦「戦争論理学 あの原爆投下を考える62問」

究極のテーマで学ぶ、クリティカル・シンキング。歴史的事実を検証しながら最も合理的な結論に達する。新しい論理思考演習のテキスト、パラドクス・シリーズ応用論理編。

日本への原爆投下の是非という、極めてデリケートな問題を、360度あらゆる方向から、考え抜く一冊。

イデオロギー的にも中立で、日本とアメリカ、どちらの肩も持たず、ただ論理能力の訓練として、淡々と62問のジャブをこなしていく。

  • 原爆投下は人種差別だったのか?
  • 原爆以外、空爆でも各国で大量の市民の命が奪われたことはどう考える?
  • 戦争の早期終結のためには原爆投下は必須だったのか?
  • 二回目に投下されるまで判断をくださなかった日本の責任?

などなど、ヘビーなトピックで、大戦時の背景知識と論理センスを身につけられる一冊。

とてもスリリングに一気読みしてしまった。

 

エマニュエル・レヴィナス「実存から実存者へ」

非人称的な「ある」ことが、「私」として「実詞化」され、糧を求め、他者に出会い、夜一人目醒め、芸術や神 に関わる…。レヴィナス初期の主著にして、アウシュヴィッツ以後の哲学的思索の極北を示す記念碑的著作。存在は「悪」なのか―。

おそろしいのは、存在しないことではなく、存在が続くことだ、という本書。

例えば、不眠の夜。わたしの意識は寄る辺ないまま闇に漂っているにもかかわらず、存在し続けている。眠ることができない、存在しないことができない、という状態。

ハイデガーやフッサールを前提にしつつも、名前を持って世界の中で生きる以前の、非人称の「ある」という場所から存在を考えている。

 

 まとめ

個人的趣味でフランス系が多くなってしまった気がしますが・・・。

また、ジョルジュ・バタイユなんか読んでおくと、デリダとかもぐんと分かりやすくなります。たぶん彼らはバタイユからも発想を得ている。

そののちの複雑きわまりない書き方をする思想家たちの取り上げたポイントを、もっとプリミティブなところで追求してたのがバタイユだと思うです。

そういえば、岡本太郎は戦間期、フランスでバタイユらの秘密結社に入って、夜な夜な森に集い、謎の儀式をしていたようですね・・・。

岡本太郎の熱さには、フランス思想界の熱も流入してるのです。

 

ほんと、若い時は、気に入った哲学者にはとことん惚れ込める時期と思います。興味持った時が、いちばん頭に入ってくるからチャンスです!

ちなみに私は一時期、ニーチェをケータイの待ちうけにしてました笑

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