読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちょい虹:映画情報

人生道草しまくり迷いまくりのstray dogが遂に故郷を見つけるまでの物語。

騎士団長殺し第二部感想と謎解き。春樹は何を伝えたかったのか??

書評・読書案内

OLVERA CADIZ 6819 20-1-2017

さて騎士団長殺しも第二部の丁度半分くらいまで読みました。驚愕の展開にさしかかってきた~!

とりあえず気付いたことを。

これまでの作品と共通するのは数々の女性が登場すること。特にぶっきらぼうな喋り方の少女、
主人公を捨てたようにみえて実はまだ主人公を求めてるかもしれない妻。

違ってるのは男同士で酒を酌みかわすシーンがすごく目立って多く描かれてることだ、。珍しく女っ気が少ない。

う、眠いので続きは明日にする、、

読み終わった!!
この作品の感触をお伝えするとともに。
自分なりに、春樹が伝えたかったメッセージの謎解きもしてみようと思います。


「騎士団長殺し」謎解き

「騎士団長」とは何なのか?

雨田具彦の絵から飛び出てきた、「騎士団長」。精霊みたいな小人みたいな、憎めない奴なのですが、彼はいったい何者なんでしょう。
自分では「イデアであるぞ」とか言ってました。

結構抽象的ですね。

今回は哲学や心理学っぽい用語がところどころに顔を出していたことから推測すると、
やっぱりこれは
「アイデア」「概念」といったもののことだと思います。

人間だけが、その場にありもしない「イデア」に取りつかれるんだとも、騎士団長は言っていました。

「世界一カッコいい車と、その車の助手席に座る世界一の美女を手にしたいぜ オラ!」というのも
例えばイデアですね。
目の前にある車や女性よりも、「世界一の美女」という抽象概念を持ってきているからです。
「世界一」なんて、しょせん主観的なものでしかない。
「概念」にすぎません。
人によって女性の好みも色々ですから一概にいえません。
そんな不可能な「世界一」、という実態のないものを、人は求めてしまうことがある、
そうした傾向を騎士団長は「イデア」という言葉で表しているのだと思います。

そして「概念=イデア」そのものには善も悪もない。
「買い手責任」なんだと言われます。それを手にしたもの次第で、どうとでもなるのがイデア。

「騎士団長殺し」の中には、戦争についての言及もありました。

まずは、雨田具彦が若い頃のウィーンでの、ナチ高官暗殺未遂。
これもイデアが絡んでいます。
当時のナチスドイツは、ユダヤ人や障碍者はじめ「劣等人種」を駆逐して、理想的な
アーリア人である「ゲルマン民族」を創成しようとしていました。

そこに人々は熱狂してしまったわけですが・・・
この「理想民族」も、やはり「イデア」です。
地球上の人種はもう、不可分なほどに遺伝情報が混ざりあっていて、そんなに綺麗な分割線は引けませんし、
民族の違いというのも、じっくり考えだすと、簡単に区分できるような単純なものではありません。

そして、作中でもう一つ出される歴史事例は、旧日本軍が、中国大陸を侵略した時に、捕虜の首を日本刀で
跳ねたことです。
 雨田具彦の弟は、上官に「慣れるため」として、無理やりこれを強制され、
帰国してから、自らの命を絶ってしまいました。
(こうした斬首の場面は、林芙美子や、火野葦平など当時の従軍記にも記録されていますが・・・)

この行為を行わせたのも「イデア」だったでしょう。
「中国人」と「帝国臣民」である「日本人」は違っている、同じ人間ではない、
こうした「イデア」を頭に染み込ませてこそ、目の前の、自分とよく似た人達を無視することができるようになります。

そんなわけで、この雨田の過去と関わる歴史的トラウマは
「イデア」と深く関わっています。

そして騎士団長は自分を「イデア」だといいます。

雨田が、「騎士団長=イデア」を殺す絵を描いた必然性はここにあると思います。
画伯の過去は「イデア」によって、取り戻しがたく深い傷を負っている。
だから、雨田具彦は、絵の中で観念的にですが、その「イデア」をころすしかなかったのでしょう。
そして、主人公がイデアを包丁で刺したあと、やっとやすらかに微笑みのようなものを浮かべて
この世を去ることができたのだと解釈できます。

分身関係にある男達

今回印象的だったのは、男同士の接触です。
登場人物も、
主人公、色免渉、雨田具彦、政彦、スバルカーに乗った男、
などキーパーソンは圧倒的に男性が多く、
特に色免とわたしは、かなり密接にかかわりあう。

井戸に落ちた私を助けてくれるのも色免で、手首をつかんで引っ張り上げてくれた色免に
「私」は意外な力強さと頼もしさを感じる。
その後、色免は、弱った私を介抱までしてくれます。

この体温を感じさせるような男同士の接触”というのは、村上作品ではかなりレアだったんじゃないかな〜〜と新鮮だった!
今までの春樹作品では圧倒的に、窮地にある男性主人公を救うのは、女性だったことが多いと思うし、もっと女性が重要な役割を果たしていたと思う。
今回は、女性は脇役にしりぞいている。

そしてこの背景には、男達が分身関係にあることがありそうだ。

色免とわたしは、両方とも妻(かそれに近い恋人)に突然別れを告げられるも、
彼女が妊娠した子供がもしかしたら自分の子供かもしれないという可能性にとりつかれている。
そして、どちらも、山奥にこもり、人を観察することで日々を過ごしている。

色免は、自分の娘かもしれない まりえを双眼鏡で観察し、そして私も肖像画を描くためにだけれど、何時間も観察している。

わたしの住む家の庭にあった井戸の蓋を取り除いたのも色免で、そこからわたしは
奇妙な世界に引き込まれることになり、この二人は共犯関係にある。
分身のような存在だ。

そして妻に去られてしばらく東北をふらふらしていた私が旅の途上ですれちがった、
スバルカーの男。「私」はこの男に邪悪なものを感じるのだが、同時に、それは自分の中に潜んでいる暗黒の存在なのかもしれない、と自覚する。

さらに私は有名な日本画家、雨田具彦のアトリエをかりていて、彼の気配に満ちた空間で
絵を描いている。
そして雨田の描いた「騎士団長殺し」の精神を自分も引き継ぐのかもしれない、と
感じている。
その意味では、雨田画伯とも精神的な親子関係のようなものにある。
雨田画伯の一部が、「私」にも流れ込んでいるのだ。

こういう、男同士の分身関係は、新鮮だった。
そして、年齢層も高い。画伯は92才くらい、色免は56才で白髪の紳士。
ここらへんは、春樹が実年齢と作中で折り合いをつけて来たことの現れなのかもしれない。

「騎士団長殺し」に感じた違和感


ええと、村上春樹の作品全般にいえることなのだが「女性の描き方が下手だなあ〜〜」ってこと。というか「女性に幻想を持っているんだな〜〜」ということだろうか。

特に少女。
まりえは、超ぶっきらぼうな喋り方しかできないのだが、なんというか内面があまりにも
ぎこちない感じがする。そして
逆に、成熟した女性は、けっこうペラペラ喋るし、割とうまく描かれている気がする。
ただ、いわゆる「大人のオンナ」的な女性ホルモン高そうなタイプばかり登場する・・・。

少女というのは、まだ性的に女とも男とも付かない存在だ。
春樹はこういう性的に曖昧な存在を描くのはうまくない。
少女の内面をあまりうまく理解できないのかもしれない。

例えば、まりえは13才なのだが、まだ胸が小さいのを気にしていて、早く大きくなってくれるように望んでいる。
そして、自分の胸が少し大きくなってきたとか、そういうことを36才のオッサン主人公に報告するのだが。。。あまりリアリティがない。

だいたい、少女というものは、胸が膨らんできたときには、「嬉しい」よりも
「不安」「ぶきみ」と感じるものなのではないだろうか?
自分の体が勝手に変化するのだから、きもい体験であろう。

どうですか女子の皆様?
こんなにストレートに「女性性」を嬉しく迎え入れちゃうというのは、なんかあまり
現実味がない気がするのだが・・・。

(春樹の作品で性的に曖昧な人物の成功例としては、「海辺のカフカ」に出て来た、図書館のお兄さんがある。元お姉さんなんだけど、心は男性で、しかもゲイの男性、という、性同一性障害、かつ同性愛という複雑な人物。
でも現実ってこれっくらい多様性に満ちているものだろう)

それにしても、春樹作品読んでいると、いわゆるお尻星人とオッパイ星人あったら、春樹は
圧倒的に後者だおなあ〜〜と思うw
胸の描写多すぎだろw
・・って、どうでもいい方向に話が汗

個人的な評価めいたもの

 評価というのも、読んだタイミングやら気分やらで変わって行くものだけれど、
とりあえず現在の評価では。。。
面白い。

しかし「ねじまき鳥クロニクル」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「海辺のカフカ」などの傑作が持つ輝きはない。
それらには及ばない。
歴史的事件(ウィーンでの暗殺未遂など)については、ほんとに少し触れられただけだったので
できればこの辺りはもっと掘り下げたエピソードが読みたかった。
 なんというか、迷路に入る面白さである。迷路に入って、よくわからん道をくねくねさまよって、たまに面白い仕掛けがあって、結末では「あ、外に出れた!」という嬉しさはある。
ただ、春樹作品の常として、あまりに多くの謎が放置されたままになるのが、ちょっと
物足りないといえば物足りない。
(結末と仕掛けとつじつま合わせを求め過ぎる窮屈な小説よりは全然いいといえば
いいポイントなのかもしれないが。)長所でもあり短所でもある。

「1Q84」よりは断然に面白い!というところだろうか。

また、文体が非常に落ち着いていて、それこそ登場人物の色免に代表されるように、
綺麗な白髪、清潔なジャケットとパンツ、気品あふれる初老男性、
例えればそんなイメージだ。

 若いころのソーダが弾けるようなピチピチとした楽しさや弾みはないものの
ヴィンテージワインみたいな、渋いコクと深みがある。そんな感じ。
 何か作家の年齢を感じさせるものがあった。
 ヴィンテージになってきた感じ。
 春樹はまだまだ健在である。

スポンサードリンク