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人生道草しまくり迷いまくりのstray dogが遂に故郷を見つけるまでの物語。

「三度目の殺人」を見た感想を口コミ!タイトルの意味は何かを考えた。福山と役所の熱い接近にクラクラ。

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「そして父になる」「誰も知らない」等、過去良質の映画を作り続けてきた是枝裕和監督。今度の映画は、今までの澄み切ったあの是枝ワールド独特の空気感がさらに研ぎ澄まされたかのよう。

 福山雅治が弁護士役を主演、被害者の娘を広瀬すず、そして被告人が役所広司と、かなりのスター俳優が揃っている。

 予告編を見ても、一体だれが犯人なのだか分からない上に広瀬すずまで「私も裁かれなくてはいけない」みたいなことを言い出している・・。

 川べりで炎を燃やしているシーンは静謐な美しさに満ちているし、何よりも、幼稚園の頃からの役所広司ファン!としては、必見であった・・・。

 そんなわけで早速見に行ったので、感想を書きます。

 

「三度目の殺人」登場人物

  • 重盛弁護士(福山雅治)

 同僚が手に負えなくなっていた三隅の事件を途中から引き受けさせられることに。真実には興味がない、裁判への勝ちにこだわるドライな弁護士役。離婚していて、別に暮らしているらしい十代の娘は、時折万引きなどをしては父親である重盛を呼び出す。

 重盛の父親も裁判官で、若いころの三隅が起こした殺人事件を担当していた。

  • 三隅(役所広司)

 正体不明の殺人犯。

20代の頃に借金取り二人を殺害して、逮捕されたものの、重盛の父親が貧しい生い立ちなどを情状酌量して、死刑は免れ、無期懲役だった。服役してから社会復帰し、食品加工工場に勤めていたが、そこの社長を殺したとして逮捕された。

 重盛らが聞き取りにいくたびに、供述がコロコロ変わる。

  • 山中咲江(広瀬すず)

 被害者である工場長の娘。高校生。足を引きずっていて、どこか陰があり、何か秘密を抱えている。容疑者の三隅とも、一緒に時間を過ごしていた形跡がある。

 他、咲江のどこか精神が壊れていそうな母、重盛の同僚、検察官(市川実日子)、裁判長などが登場する。

 

「三度目の殺人」あらすじ(イントロダクション)

 同僚の摂津が難儀している案件を「丸投げ」された弁護士重盛。

勝ちにこだわる重盛は、どうにか減刑できるシチュエーションに持ち込もうとする。「強盗殺人」ではなくて、「殺してから」たまたま窃盗を行った、ということに。三隅は、最初は「金が欲しくて」「解雇されたから腹いせに」などと殺害理由を供述していたのに、なぜか週刊誌には、「(被害者の奥さんに)依頼されてやった」などと漏らしてしまっていた。

 どっちが本当なんだ?と困惑する重盛。だが、重盛はあまり真実自体に興味があるというよりは、法廷の戦略に有利な方に話を持っていこうとする。

 つまり被害者の妻が主犯で、三隅は依頼を受けたから殺しただけだ、という路線である。三隅と被害者の妻は、男女関係があった、というのも状況証拠にしようとする。

 なのだが、遺族に挨拶に行ったり、三隅が暮らしていた住まいを訪ねる過程で、奇妙なことに気付き始める。どうやら、被害者の娘の高校生は、三隅と会っていたようなのだ・・・。

 そして、三隅の通帳には殺人前に50万円が振り込まれてもいる。

 そしてしまいには、三隅は「自分は河川敷には行っていません、殺していません。誰も信じてくれなかったから言わなかったけれど。あなたは信じてくれますか?重盛さん」と迫る。

 一体真実はどこにあるのか?そして被害者の家族の秘密は何なのか?そもそも人が人を裁くことは可能なのか?何を意味するのか?

 そういった問いが渦巻く中で、物語はスリリングに、哀切に進行していく・・・。

 

「三度目の殺人」を見た感想(ネタバレ少な目)

 是枝監督は、この映画を知人の弁護士と話す中で構想したという。

つまり一般人は、法廷というのは、事実関係や真実というものが争われ、追究される場所だと思っている。でも、それは違うらしい。

 法廷というのは、取り引きの場所なのであって、真実を明かす場所ではないというのだ。

 ここが強いモチーフになっている。

 

 弁護士は、裁判に勝てる方向の物語を、被告に語らせようとする。時には、否認している殺人さえ、認めさせようとする。

 状況的に誰もが犯人はこいつ、と信じている状況では殺人を否認すること自体が、「嘘をついて、反省していない」とみなされ、求刑が重くなってしまうことが有りえるからだ。もしかして本当に罪を犯していないかもしれないのにも関わらず。これはよく聞く話だ。取り調べ室などでも、罪を犯していないと言い張っていると、心証が悪いから、ともかく罪を認めろ、そして反省の態度を見せれば刑が軽くなるから、と被疑者を誘導する。

 過去、実際にこういうケースは問題になってきた。

 

 しかし今回三隅は、「重盛さんは・・・本当のことは知りたくないんですか?」と聞く。取引ではなくて、「本当のこと」を、知りたくないのか?と。

 しかし、真実とは何だろう。「本当のこと」とは何だろうか、という根本的な問いがこの映画を見ていると突きつけられる気がした。

 クールでドライな重盛弁護士だが、被告である三隅に、次第に強く惹かれていく。三隅は、何か不思議な魅力を持っている。

 もちろん、役所広司の色気ってこともあるが(笑)、、、何か、他の人の感じていることを読み取るような不思議な能力を持っているのではないかとほのめかされるのだ。実際に劇中で、重盛弁護士の個人的な背景を当ててみせたり、重盛が口にしたことを、聞いていなかったはずなのに、同じように繰り返してみせたりと、奇妙なのだ。

 殺人も、被害者に苦しめられていた周りの人の思いを単に反映したのに過ぎないんじゃないか?という推測が浮き上がってきそうな感じなのである。

 そして、重盛はいつの間にか、どこか深いところで三隅に共鳴、共感していくのだ。

 

 何かこれは「精神分析」だとかが、ある人の心の真実を追いかけるのにやるような方法にも似ている気がする。誰かが何かをした、その理由は、その人本人に乗り移らない限り、本当のところなんて見えてこないのではないか?いや実は、本人自身され、わからない幾つもの理由に動かされているのではないか?

 「三度目の殺人」を見ていると、この世の中に一見見える、分かりやすい理由や犯行動機というのは、本当のものなのかが疑わしくなってくる。

 最近の流行り言葉ではないが誰かが私の心を「忖度」して何か罪を犯した場合、その責任は一体どこにあるのだろうか・・??

 もちろん倫理的に、最終的に個人の責任は問われなくてはならないだろう。でも組織そのもの、人間関係そのものに、その網目の中の誰かに罪を犯させる構造があったとしたら?

 そして人によって見ているものが異なるとすれば、誰の目線から物語を語るかによっても、真実は変わってしまうだろう。

 法廷はむしろ、こういう無限にあった色んな真実の可能性を、一つに絞り込んで無理やり決着をつけておさめる場なのだといえるだろう。

 

福山雅治と役所広司の熱い接近戦にクラクラ!

 この映画では、割と登場人物はモノトーンの衣装を着ていて、シックでかっこいい。黒いスーツにコートの福山雅治は、やはり文句が付けられない感じで男前だし、娘などに見せる「お父さん、わたしがまた呼んだら助けに来てくれる?」「うん、行くよ」などの暖かさもよい。

 役所広司もやっぱり、とんでもなく演技がうまくて、その静かな熱気にすっかり引き込まれてしまう。「母も父も妻も窮乏のうちにしにました、でも僕はまだ生き延びている・・命は選別されているんです、理不尽に!」と言ったり、動機について聞かれて「世の中には生まれてこなくてよかった人間もいるんです」と憤ったり、「奥さんと関係があった?」と聞かれて「いや~」と照れたり、何か得たいのしれない人物というのを、非常にうまく演じている。

 そしてその熱気に当てられる福山との対面シーンが多いのだが、これは必見だ。

ガラス一枚を隔てた距離で、二人の顔はそうとうに接近し、ガラスの中の映り込みで、その顔は重なり合う。

 三隅が、重盛に、ガラスに手のひらを当てるように要請し、三隅がそれに応じて、ガラス越しに三隅がそこに手を合わせるシーンもある。「もうすぐ体温が伝わってくる・・。私は話しているより、こうした方が相手のことが分かる」という三隅。

 この場面には、二人のファンではなくても、ドキドキしてしまうのではないだろうか。特別に、ゲイっぽい空気が醸し出されるとか、そういう訳ではないのだが、人間が友人、家族、恋人と物理的に触れ合おうとする根本欲求というか、そういうのが心に迫ってきて、ぐっと来てしまう。

 

広瀬すずも何か妖しさが・・

 福山は、今回広瀬すずと会って、前評判で聞かされていた通り「甘酸っぱい気持ちになった」と言っていた。

 広瀬すずも、涼し気なきりっとした面立ちと、まだ高校生らしいまるっとしたあどけなさがあいまって、独特の魅力があった。特に今回は陰のある役だし、炎に顔を照らされつつ血しぶきを拭う場面もあったりして、妖しい魅力が出ていた。

 舞台挨拶では、役所さんは私は「(広瀬の母親役の)斉藤さんにも甘酸っぱさを感じました」と言っていたが。脇役にいたるまで、輪郭がパッキリした役者が選ばれている感じがした。

 母親が娘(すず)の首筋の匂いを嗅ぐシーンもあって、こういう親密な触れ合いは、母と娘のものも見ることができた。

 

とにかく画面が綺麗!写真みたい、

 そして「三度目の殺人」の魅力は、映画の画面の美しさだと思う。最近の日本映画では、こんなに絵として画像が美しいのは、なかなかない。

 北の国の白く透明な光に照らされた裁判シーンや、雪の中、三人が横たわり、それがだんだん遠くから俯瞰されていくシーン、河川敷で暗闇の中燃える炎、など何かちょっとヨーロッパ的なものも思わせる静謐な美しさが漂っている。

 

人を裁くとは何なのか?

 そして死骸が燃やされた跡がなぜか十字架の模様に黒くなっている場面に象徴されるように、「裁く」というのは何なのか、というのが「本当のこと」とは何か、というテーマと共に浮き上がっていた気がした。

 三隅は、「人の命をどうこうできる」裁判官にあこがれて、重盛の父親に手紙を出したという。現実では、人の運命は理不尽に何かに選ばれる、生まれることも死ぬことも決められはしない、そんな人生観が背景にあってのことなのだろう。

 

「三度目の殺人」というタイトルの意味は、死刑制度への批判もあるのか

 三隅は、「誰かわるいやつがいたって、殺せば解決するってことにはならないでしょ」と問われ、「重盛さん達は、いつもそうやって解決しているじゃないですか」という。重盛は「死刑制度」のことを言ってるのかな?と答える。

 そう、確かに、死刑にすれば何かが本当に解決するわけではないのかもしれない。

 日本は、先進国の中でもまだ死刑がある少数の国の一つだ。

 

 そして、この「三度目の殺人」というタイトルの意味は、法廷が、何があったのかという真実を調べようとせず、無理やり法廷取引的に、事実を決めつけて解決しようとする、その仕方のことを指しているのではないかと思った。その過程で、本当は何があったのか、当事者は何を思っていたのか、といったことは、捨てられてしまう。

 もちろん、本当の本当なんて、本当の真実なんて、どこにも無いものであるのかもしれないけれど。

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