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人生道草しまくり迷いまくりのstray dogが遂に故郷を見つけるまでの物語。

滝口悠生「死んでいない者」の感想とあらすじ。まっったり~~(p_-)ネタバレ有【2015年下半期芥川賞】

Local Politician Says "Orgasm" Instead of "Organisam"

「眠たい系葬式小説」だと解く。その心は…。

2015年下半期に、本谷有希子と同時受賞。
滝口氏は受賞して「ますます不安が大きくなった」とか。
何故!??
昨年会社を辞めたらしく、専業作家としての道を歩み始めた矢先だというから、幸先のいいスタートなのに。
ま、確かにこの時代、純文学は世の中から忘れられていっているからなあ・・・。

本題。

うーん・・・。
これはハッキリいって、人によってだいぶ評価が分かれる!と思う。
素直にいって、だーいぶ、読むのが難儀、というか、頭を使わせられるのだヨ・・・

なぜかといえば、視点人物が定まっていない
その時々で、色んな人の語りの視点や過去のエピソード記憶に移る。たまに、誰の語りか不明の非人称な語りも進入してくる。

ストーリーらしいストーリーがあるわけでもなく、ただひたすらまったりと、作中の時間は過ぎ行く・・・。

 

「死んでいないもの」のあらすじ・設定

※ 以下、ネタバレあり

舞台は、お葬式です。
とある、田舎のお葬式に、親類縁者がやたら沢山集まってくる。
三世代で、祖父、父母、孫。
父母世代は六人兄弟、孫世代は十人兄弟。そのすべてが、小説に登場する。
(不在という形の者もいるが)
覚えられない!!!
というハードルがまずあった。
しかもこの多量の人物の間で視点が次々変わっていく。

ここら辺が、選評で村上龍が「読者に不親切」といっていた所以であろう。

そして文体も割と細部の描写を細密に行うため、ツウ向きかもしれない。
わいのような、少々せっかちな人間は、はよ先に行け!とか思っちゃったりして。

繰り返しますが、これは個人的な感想ですヨ。
でもたぶんツウ向けじゃないかな~、どうだろ。

この小説を引き立てている要素があるとしたら、たぶんアウトサイダーの存在だろう。
まず、ダニエルという、外国人のお婿さんが一人いて、彼も超土着的なこのお葬式に参列し、親戚のおじちゃん達と連れ立って銭湯に行く。
そこで、湯負け?しちゃって、軽くぶったおれる。

あと、美之という、半ひきこもりの孫
これが、死んだ祖父ちゃんちの庭に立てられたプレハブ小屋で、もう何年も暮らしている。
ただ何やら新型引きこもりらしく、ひきこもっているだけでなく、たまにバイトしたり、お祖父ちゃんに料理作ってあげて一緒に食べたりと、結構社交的。

引きこもりっていうよりは、若くして社会からセミリタイアしているってのが合ってるのかなあ。

それと、登場しない「寛」という確かこれは息子の世代の一人。
(孫世代と父母世代は、年齢層が幅広く重なりあっていたりするので、誰がどの年代に属しているのか把握するのは困難・・)

こやつは、なんか中上健次型の無頼漢で、
借金したり女房をとっかえたりなんだりして、今は行方不明になっている。

このまわりの家族と比べるとちょっと異質な三人のエピソードが、アクセントになっている。

あとは、中学生の子らが、夜中に台所でビール飲んだり、小さい子がはしゃぎまわっている気配があったり、

引きこもりの美之が、実はユーチューブでオリジナル曲を発表してて、外国の人からも賞賛されているという、今時な感じのエピソードがあったり・・・。

わいが一番面白かったポイントは、わいは核家族で育って、従兄弟もいなくて、親戚も少なくて、だからお葬式なんかいっても、家族はせいぜい六人くらいしか集まってなかったりするのね。
それが、こんな大家族があるんだなーってのが新鮮。
色んな親戚がわちゃわちゃ集まって、葬式なのに全然深刻な感じもなく、くっちゃべったり温泉に行ったりという・・なんていうか地味な祭り感というのか?

皆の記憶が交錯しあう場所としての、まったり葬式ってのが描かれていた。

「死んでいないもの」に対する個人的評価

んーーんーー
でもね、わいは、小説には、非日常を求めてしまうタイプなんですわ。
日常は、現実生活で十分味わってるからいいや!って思っちゃうのよ。

そういう意味でいうと、これは「眠たい小説」であるかもしれない。

なんか、まったりし過ぎちゃって物足りないのよね~~
いや否定しているわけではありません・・・。
世の中には「眠たい映画」だけと、「傑作」という映画も沢山あります。タルコフスキーの映画みたく。

刺激に満ちてるけど、退屈っていう作品も逆にある。
だから、「眠たい系」文学が好きな人には面白いのかもしれない。と、持ち上げておく。

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