これは、まだ全然有名になっていない漫画なのですが、凄い掘り出し物のコミックを見付けてしまったのでご紹介します。「この漫画が凄い!」とか朝日新聞の書評に掲載されたりもしたみたいなんですが、まだまだ知名度は低い~~。
けれど、漫画を読んでこんなに興奮したのは久しぶりです。
2017年8月24日に2巻が発売され、次は2017年11月下旬の刊行予定だとか。「バーズ」という、大人女子向け(?)の漫画雑誌に連載されてます。
「ルポルタージュ」が打ち切りに!?
・・・非常に傑作だと思う漫画ですが、突然、打ち切りのニュースが入ってきて狼狽えています。(11月3日)
決まった打ち切りはくつがえらないので、それはごめんなさい。それから、読者のみなさまのお声をRTしなくてはならない理由があり、この半日お騒がせしておりますが、ご容赦ください。
— 売野機子 (@urino_kiko) 2017年11月3日
話題になっていて、売れ行きも悪くなかったということなのに、何故なんでしょう・・・。Twitter上には、嘆きの声があふれていました。
売野機子さんの『ルポルタージュ』は、人々が恋愛をしなくなった近未来(これは現代でもあろうよ)。結婚・子育てを合理的にする社会の中の「恋愛」という異質なものを描いている、意欲的な少女漫画なんだよ。昔ならぶ〜けとかに載っていたような。しかもちゃんと話題になり売れていたのに。
— koinubooks/こいぬ書房 (@koinubooks) 2017年11月2日
今まで「普通の社会のなかで取り残された、どこか欠けた人たちの真っ当な愛」みたいなものを一貫して描き続けていたのが、ルポルタージュではその「真っ当な愛」そのものに疑問を投げかけたという点で売野作品のエポックとなる(なり得る)連載だと思ってたんですけど、もう読めねえのかなあ
— チトユの体格差 (@kopiruwak) 2017年11月2日
ルポルタージュ打ち切り…………マジかよ……😭😭😭今年最高に面白いマンガだったのに……
— こう@マンガ感想用 (@123454321_23) 2017年11月2日
雑誌移籍でもクラウドファンディングでも、連載が続くなら数万くらいなら出資するから続けてくれ……僕が5,000兆円持ってたらよかったのに……😭😭😭
ルポルタージュの続きを掲載してくれる雑誌が現れたら、大絶賛されるだろうし、単行本派だったけど、雑誌買うから。
— ami (@amimtsk) 2017年11月2日
ルポルタージュ、本当に続きを楽しみにしていたのに……………。単行本も売り上げ悪くないのに打ち切りじゃあ、私たち読者にできることはなんなんだろ。雑誌アンケートが全てなの?評判も悪くなかったって、私たちのレビューや意見は全く反映されないってことなの?そんなのなくない???
— あきたこまち (@honey_dot_xoxo) 2017年11月2日
打ち切りになった理由は、公表されていないのですが、売上とはどうも、関係ないようですね。
もしかして、「ルポルタージュ」に描かれている、従来の「まっとうな愛」「まっとうな家族」みたいなものに、疑問を投げかける、革新的な部分、思想的な部分が理由で打ち切りになってしまったのだとしたら、悲しすぎます・・・!
(理由は明かされていないので、分かりませんが・・・単にもっとほかの事情があったのかもしれません、ここら辺は、単なる個人的なあてずっぽうにすぎませんので信じないでくださいw )
「シェアハウス」や「パートナー婚」など、現代的なモチーフ、それに主人公の恋人が貧しい若者たちを助けるNPOを主宰していたり、それにテロリズムなど、現代のリアルな社会問題が織り込まれている姿勢も素敵なものでした。
漫画は架空の世界ですが、現代の私達のリアルライフが描かれていると感じて、一気に引き込まれてしまいました。
漫画は、娯楽だけやっていればいいのでしょうか?
こういうふうに、人をふと立ち止まって考えさせるような側面があってはいけないのかな?だとしたら、漫画の存在意義って何??単に読んでいる最中に楽しければいいの?
まあ、それはそれでありなのかもしれませんが、「風の谷のナウシカ」にしろ、手塚治の漫画にしろ、「傑作」と呼ばれる漫画は、エンタメ性はもちろん、リアルな哲学や深い思想性が、織り込まれているものです。
そういう意味では、この「ルポルタージュ」も、非常な傑作だと思います。
バーズで打ち切りになってしまうのでしたら、本当に、こころざしある出版社さんが拾ってくれて、また再開してほしい!・・・と切に願います!
とりあえず、バーズコミックスからは、11月24日に3巻が発売、4巻で終わりの予定のようです・・・。
悲しい~~。
→その後、移籍が決定したようです。良かったー!
「ルポルタージュ」の、舞台設定とあらすじ
まず何が凄いかというと、舞台設定がとても現代的でリアル。
舞台は、「恋愛」というものが、もう時代遅れになりつつある近未来。数十年先(2033年)の日本です。
世界ではテロリズムがますます横行していて、日本でも起こるようになっています。
そして、今回また、「非・恋愛コミューンのシェアハウス」を狙った大規模テロが起こりました。
この「非・恋愛コミューンのシェアハウス」というのは、恋愛結婚ではなくて、人生や子どもづくりを一緒に運営していく「パートナー」としての結婚相手を探している男女が、一緒のマンションで暮らして、親交を深める中で、自分に最適の相手を見つける場所としてのシェアハウスになっています。
この時代では、恋愛という煩わしいものは「飛ばし」て、冷静に、堅実に、人生のパートナーを見つけることが主流になっています。恋愛結婚をする人もいるのですが、それは少数派。
婚活コンピューターみたいなのがあって、それが相性の良さそうなプロフィールを持った相手を高精度でマッチングしてくれるの、皆それを利用。(そんなシステム欲しい!出来れば顔出し無しのまま、マッチングしてくれるのがいいなあ~・・)
こういう舞台設定が、今どんどん晩婚化・少子化が進んでいて、若者の恋愛離れも加速しているという日本とマッチしてます。
そこへ来て、血縁家族以外との、共同生活の試みもリアル。今、ルームシェアとかシェアハウスとか、シェアオフィスとか、コミューンを作ろうという動きも色んなところで見られてますよね。
現在の恋愛離れ、コミューンにチャレンジの志向が、もうちょっとだけ進んだら、こうなるかも・・?っていう近未来がリアルなんですよねー。
主人公は、青枝聖という若い女性の新聞記者。黒髪の綺麗なお姉さん💛。このお姉さんと、部下のこれも、お人形みたいな可愛い💛絵野沢は、ペアを組んで、このコミューンテロ事件を調査することになります。
やることは、テロ犠牲者の「ルポルタージュ」。
そのままでは、単なる死亡数でしかない、一人ひとりの犠牲者が、人間としてかけがえなく生きる存在であったことを炙り出すため、彼らがどんな人生を送ってきたのか、ルポを作成するのでした。
その過程で、この非・恋愛時代に生きる人々の葛藤や、彼らが何を思って、恋愛抜きのコミューンに住もうと思ったのかが浮かび上がってきます。
捜査線上で浮かびあがってきたのは、貧困状態にある若者を支援するNPOを主宰している男性、28歳の國村葉。普段はデザイン関係の仕事をしていて週末はNPO、そしてクラブイベントでDJも務めるというなかなかお洒落なお兄さん💛
このお兄さんがNPOで支援していた若者の一人が、今回のテロ事件を起こしてしまったのでした。
この葉と聖は、一目見つめ合った瞬間、恋に落ちてしまいます。でも聖は、そういう自分の感情に惑わされたくないから、事件を追い続ける新聞記者を選んだところもある、現実に対して臆病なところのある女性でもあり、なかなか展開はじれったい。
そして、後輩記者の絵野沢は絵野沢で、同性である聖に対して、恋心を抱いていて、葉とは三角関係に・・・。
そして、この先次第に、なぜ「非・恋愛系コミューン」がテロの標的になったのか、その理由も明かされていくことになるんだと思います。
てなわけで、恋愛と、事件の行方が両方気になる~~!ということで、ぐいぐい引き付けられて読んじゃって、続きもきになるという作品になっています。
「ルポルタージュ」は登場人物が魅力的
まず、主人公である聖(ひじり)の、”イイ女感”が半端ないです。”イイ女”の代名詞(??)である黒髪ロング、さらさらのストレートヘア。そしてスタイル抜群。出るとこ出てて、締まるとこしまって、足はモデル並みに、すらりと長いです。美人だし。
いつもほとんど喜怒哀楽を示さない冷静な顔を崩さないのですが、憂いを帯びた、いつも半分閉じられている(?)目は素敵だし、恋の場面では顔を赤らめたり。そしてミステリアス。主人公なのですが、何を考えているのかほとんど分かりません。
こんなオンナがいたら、大抵のオトコは参っちゃうと思います。
そして聖に参るのはオトコだけではなかった!後輩の美少女、絵野沢も聖に惚れています。子猫みたいな可愛らしい雰囲気のある絵野沢。金髪の姿はハーフにも見えますが、ただのファッションかもしれず、分かりません。記者としては有能なようです。
この絵野沢の視点から、惹かれ合う聖と葉が遠くから俯瞰される場面もあるのですが、なかなか切ない。絵野沢も、聖を奪われてばかりではなく、けっこう積極的に行動します。
また、聖と恋に落ちる國村葉も、なかなか魅力的な若者として描かれています。そして、リアル。なんかこういう人いそうだよなあ・・・と思わせる感じ。
ワーキングプア支援や派遣村など、貧困層を若者が支援する活動も現実の日本でけっこう話題になってますよね。そして、音楽をやっている人でもあるというのが味噌。社会運動みたいなものとカルチャーというのは、一体化しますからね。他者への優しさと、お洒落さを兼ね備えたこの國村青年も、いかにもモテそうなタイプじゃないですか・・・。
この三人が今のとこ主要登場人物なのですが、本当にどのキャラも魅力的で謎めいている。そして、イラストの線が美しいので、一コマ一コマ、慈しみながら読み進めたくなりますw
作者の売野機子さんとは?
この大型新人は何者??とか思いましたが、2009年にはもうデビューされてます。漫画に詳しくなくてすんません(;´・ω・)
1985年生まれの、まだ30代前半の方みたいです。「クリスマスプレゼントなんていらない」という短編集を読んだところ、ペンネームの由来はどうも「機械」の「子ども」って意味で「機子」みたいです。
ロボット好きの方みたい。同短編集には、野原の一区画を売るロボットのエピソードが出てきたので、「売野」もたぶんそこから来ているんでしょう。
しかし、この短編集の作品は、どれもサラリ、あっさりとしてて、うまいのだけどそこまで印象に残るものでもなかったので、この「ルポルタージュ」への成長は、正直目を見張るものがある気がしました。
で、「ルポルタージュ」を読んだ感想をつらつら。
ここから先は純粋に、私の個人的な感想です。
読んでいると本当に、家族って何なんだろう、恋愛って何だろう、と考えさせられます。そして、何となく恋愛が「禁じられている」というわけではないまでも、「しなくていい」「面倒くさい」と思われている世間の中でも、どうしようもなく人に惹きつけられていく様子が描かれている・・・、そこにはとても濃密な恋の想いがあって、どうにも切なくなりました。
恋心など枯れて久しい干物女の私ですが、あの透明で純粋な気持ちを思い出させられました。
絵野沢の両親なんかも、マッチングシステムで出会ったドライな人生の「共同経営者」夫婦。その家族はうまくいっているのですが、実はお母さんには公認の恋人が別にいて、その恋人は、「やっぱり辛いです」と打ち明けていたり。お母さんも、その恋人には、何の約束もない状態で一緒にいてもらって申し訳ない、と思っていたり・・。
家族が恋愛レスで作られていても、人生から恋愛が消えているわけではないんですよね。
テロの犠牲者になった、非・恋愛コミューンの発起人である女性も、パートナーの男性との間は、ドライ。二人で過ごしても、それはある意味会社の同僚とかクラスメートみたいなもの。旦那さんの方も、インタビューされても、自分たちは契約結婚みたいな関係なので、彼女が死んでも、そこまで特別な感情は出てこない、と言います。
それでも、ふとした瞬間にはしゃいだ思い出、ふと「抱きしめたい」と思った瞬間はあったとつけたして泣きます。
彼らの間には「必要十分な愛情」があったのでしょう。
熱烈な恋愛関係にある恋人の間の、それではないにしても・・・。
浮気公認カップルとか、ポリアモリーとか。
最近、わりと新しいカップルの形態を認めようよ、という言説がけっこう出てきています。
恋愛関係としては冷めているから、お互いに家庭の外に公認で恋人を作ろう、という夫婦とか、一夫一婦で恋愛するのはやめて、同時に複数の人と恋愛関係を持ちあおうとする人のポリアモリーのコミュニティとか。
まあもともと、恋愛結婚がこんなに一般的になったのは、日本でも戦後1960年代辺りとかからで、実は歴史を浅いと思うので、どんどん流動していくのは当たり前で、どんどん色々試みたらいいのではないかな、とも思うのですが・・・。
戦前なんて、お見合いが当たり前でそれこそ、写真でしか顔を知らない人とか、ヘタすると結婚式の時にはじめて顔を見る人とかと結婚して、それでうまくやっていたわけですよねえ。
女性は経済力持っていなかったから、生きていくためには、相手を選ぶ贅沢はあまり出来なかった、という背景があるのでしょうが。
今は経済的に独立した個人同士なので、もっと自由に恋愛相手を選べるようになりました。
ちょっと話がズレましたが、でもぶっちゃけ、本気でぞっこん状態の時に、パートナーが自分以外の誰かといちゃついてたら、つらくないでしょうか・・・。そこがいつも疑問なところ。
好きな気持ちがある程度軽くて、「いいなあ」「気に入ってる」「セクシーだなあ」と思ってるくらいだったら、相手が他の子と遊んでてもツラくないし、自分も他の子とも付き合いつつて、色々楽しいのかもな~とも思ったりしますが・・・。
しかし、恋愛の深みにはまっている状態だとツラい。どうしても嫉妬しちゃうし、ヘタすると「世界」と「恋人」がほとんど同義のようになっちゃう状態ってあるのではないでしょうか。もちろん一時的なビョウキみたいなものなのかもしれませんが。
何なんでしょうね、これは。
別に、一人だけを求めなくてもいいのに。
それこそ、集団で雑婚状態になって、子どもも皆で育てるという、哲学者プラトンの唱えた「国家」みたいな共同体ができれば、家族概念は大きく変わると思います。
一夫一婦制家族というのは、ポリアモリーを選択する限り、崩れていかざるを得ないところだと思います。
そうしたら、意外と、集団皆と一体化して、集団皆を愛しているといった状態、あるいはもっと風通しのよい、ゆるい一体感みたいなものを得られることもあるのかもしれません。実際にこの地球上に、そういう家族だってたぶんいるだろうなと思います。
一人だけを独占したい、というのは、相手と子どもを作る遺伝子を、自分の遺伝子だけで独占したい、という子孫繁栄欲求から来る、本能的なものなんでしょうか。
しかし、この本能は、あまりにも強く私たちの感情や、存在と結び付いているなあと感じます。恋愛なんて、深まると互いに理解しあったような、とても深い心的体験をするわけですが、同時にそれがどうしようもなく肉体や本能にも結び付いている。
恋愛って本当に、私たちの体と心が切り離せないことを、痛烈にあらわしてくる場面だと思います。
体を持っていて、しかも無限に生きることができないゆえの切なさ。
恋愛という非常に肉体的本能的なものと、家族という後から作られた社会システムの軋みあい。
でも、恋愛と家族って本当に両立しないものなのかな?そんなことはないと思う。
家族でありつつ、ロマンチックな関係もキープしていくことのできるカップルも、たまにいる。根がロマンチストな私はやはり、そういう関係に憧れてしまうのだった。
そんなことをツラツラ感じたのでした。
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