パキパキと簡潔な文体で孫と祖父それぞれの、しぶとさが闘わされます。
2015年上半期に第153回芥川賞を授賞した、羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」を読みました。
「スクラップ・アンド・ビルド」文体と題名の意味
羽田さんの小説は初めて読みました。
2003年、17歳で文藝賞を授賞してデビュー。
当時、最年少と話題になっていた気がします。
ご本人もインタビューで話していた通り、純文学というよりは、エンタメに近い文章と感じました。そんなに叙情性とかはなくて、ひたすら「ビルド」していく、ぶっきらぼうにパキパキ積み上げていくような文体です。
そうですね、ちょっと無味乾燥なハードボイルド風でもあります。
題名の「スクラップ・アンド・ビルド」の意味は、多分、スクラップが、今やスクラップ寸前の要介護になってきている祖父、そしてビルドは、ストイックに筋トレし続け、肉体をビルドしている孫、
という対照になっているんだと推測しました。
「スクラップ・アンド・ビルド」のあらすじ
※ 以下、ネタバレあり
主人公の健斗は、無職なのですが、資格試験の勉強と就職活動に精を出す日々。
日中も家にいるので、自宅で祖父を介護している。
祖父はもう87歳で、しょっちゅう「じいちゃんは死んだ方がよか」と漏らしている。
健斗は、毎日間接が痛いとうめいたり、ベッドで寝転がって天井を一日中見つめたままの祖父を、つらいだろうから、早くあの世に送ってあげた方がいいと感じている。
そのためには、手厚く介護してあげるのがよい。
自立させず、肉も食べさせず、少しずつ体を弱らせてしまうのだ。
これは、「甘えんな!」と、じーちゃんに厳しい健斗のお母さんとは、正反対の態度である。
しかしこのじいちゃんも何かとぼけたところがあって、本当に死にたいのかどうなのかはよく分からないところがある。
風呂で溺れかけたとき、助けた健斗にはお礼をいうし、
たまに「生きてて良かった」的な前向きな姿勢を見せることもあるからだ。
健斗も、本気で殺害しようというよりは、なるべく手厚く介護、という、なんだかノラリクライした戦略で、本気なのかどうなのか良くわからないところがある。
健斗はえらくきつく負荷をかけた腕立て伏せをしてると、じーちゃんは昔教練でやらされた、という。
また健斗がデイサービスに迎えにいくと、じーちゃんは、やたらと若い子の体につかまろうとしていて、健斗はキモくなったりするエピソードも。
特別に物語に起伏があるわけではないのだが、最後にはじいちゃんは、しばらくしたら施設に預けてしまおう、という話が家族内でつく。
健斗の変に無機的なキャラクター
健斗は、妙ちきりんなまでにストイックなキャラクターに描かれていて、
毎日ボディビルを行っている。
並行して資格試験と就職活動にも励んでいて、面白いのは、彼女とのHまで、ボディビル風に鍛錬の場所にしていることだ。
「今日は三回いけた」とか、自分で抜いて、本番でより耐久性をつける訓練までしている・・・。それも、大真面目に。
彼にとっては、生活ぜんぶがビルドしていく対象になっているのだ。
これはある意味、現代社会の、過剰なまでの合理性をパロディにしているキャラクターなのかもしれない。
それでその反面、祖父はスクラップの過程にいる。
昔は腕立て伏せさせられて「ビルド」されていたのだが、いまやどうやって効率よくスクラップにするかの過程である。
とはいえ、老人ホームとかでは、なかなか楽にスクラップにさせてもらえないらしく、
動けないような体の弱ったつらい状態のまま、何年も生きさせられてしまう。
もしかしたら、このスクラップの効率を遅らせられている部分に、健斗は疑問を感じているのかもしれない。
しかし介護していくうちに、健斗はじーちゃんのしぶとい生命力に少し感心したのか、この天井を見つめて一日中過ごすような無機的な日々も、じーちゃんのように、乗り切れる、といったような思いを、読者にちらつかせる。
ちょっと唐突だったけど。
「スクラップ・アンド・ビルド」個人的評価
ドライな文体で、現代生活のドキュメンタリーにはなっている。
ただ、人物の内面があまり描けていないというか、あえて描いていないのかもしれないが・・・。
事実をどんどん積み上げるように提示していく、というスタイルなのだ。
著者の実体験からも素材をとっているところがあるようで、リアリティはあるのだけれど、小説としては、やや物足りない感じを受けた。
この内面がなく、ひたすらシステマチックにビルド&スクラップが行われていくというのは、現代都市の風刺にはなってるかも。
でも、もっと血が通っているような文章が読みたいなあ・・・。とわいの好みでは思う。