今回は2作品がまた同時受賞です。(最近このパターん多い・・・売上伸ばすためかしら?)「百年泥」は、インドで日本語教師をする女性が、100年に一度の洪水に居合わせて、人々の記憶の断片と出会うというもの。
個人的には、もう片方の「おらおらでいぐも」の方が余程面白かったのですが・・・。
ちょっとこちらは、インド旅行のブログでも読んでいるみたいで軽すぎたなあ
とりあえず、感想などをば記します。
「百年泥」の主な登場人物
- 私(主人公)
考えてみれば、匿名だった気がする。全然主人公の名前が呼ばれる場面はなかったようだ・・・。
南インドの都市、チェンナイで借金を返すために、日本語教師としてとあるIT企業で働いている。とはいえ日本語教師資格などのバックグラウンドは持っておらず、体当たりで教える日々。
ふだんは口数が少なく、元夫や彼氏などからは「愛想がない女」「可愛げがない女」と評価されてきた。
- デーヴァラージ
二度見してしまうほどのインド人美青年。
日本語教室の生徒。育ちが良い他の生徒と比べ、貧乏な環境で生まれ育った。過去には泥棒になりかけたこともある。
頭が抜群に良いので、周囲の大人がお金を出し合って大学まで卒業させたという。
教室でも問題発言をするかと思えば、かげながら授業の進行を、他の生徒に理解しやすいものへと導いていたりもする。
- 私の母
人魚のように、全く口をきかない人だった。だが主人公とは、背中を押し合うなどのスキンシップで理解しあっていた。買い物の時も、子供時代の主人公が、母の意志を汲み取って、お店の人に注文を言うなどしていた。
「百年泥」のあらすじ
あちこちから借金しまくっていた元彼に、勝手に名義を使われてサラ金から借金され、取り立てられるという憂き目にあった主人公。
困った時は、元旦那頼みということで、不動産や株式取引の仲介業をしている元旦那に、チェンナイの日本語教師職を紹介される。
しかし、全くの経験も知識もない中で日本語教師を始め、頭には10円ハゲが出来てしまう始末。
曲者といえば、クラスの美青年デーヴァラージだった。日本語学習能力は著しく高い彼はクビにすることもできないのだが、カンニングさせたり、例文の設定にいちゃもんをつけてきたりと、何かしらと面倒臭い生徒だった。
そんな中、チェンナイの街を流れる川が百年に一回の大洪水を起こす。
見物する人々が、積もった泥を掘り返すと、なぜかそこからは、何年も探していた友人や、記憶に埋もれていた宝物が発掘されるのだった。
主人公はなぜか、タミル語が理解できるような気になり、はしゃぐ人たちの思い出や、デーヴァラージの、過去の意外なエピソードをも幻視することになるのだった・・・。
「百年泥」を読んだ感想
個人的には、正直ちょっと、そこまで楽しめなかった。
同時受賞の「おらおらでひとりいぐも」の凄さとは比較にならないと思う。
受賞作を2つも挙げる必然性はなかったようなきがする・・・・。
インドの風物が珍しいといえば珍しいのだが、結局観光客的な視点で終わっていて
「インドってこういう混沌として、貧困もあって、人々はこういう風にはしゃいでいて・・・」っていう、ものめずらしい物見遊山なスタンスからは、抜け切れていないように感じてしまった。
文章が個人旅行記っぽい
文章がちょっと薄味・・・。
借金取を「見事な巻き舌で話す情熱的な男たち」と書いたり、なんというか、ちょっとウケ狙い・・・まではいかないけれども、物事を少し茶化してみせるような文体が使われていて、なんというか個人の旅行記ブログでも読んでいる感じのライトさがあるのだ。
文学と言うよりは旅行記的。
なんとなく物足りなさを感じた。
さりげなく織り込まれるファンタジー
新潮新人賞のインタビューでは、「マジックリアリズム的」という言われ方もされていた。そう、結構ファンタジーが現実の風景に入り混じってくる。
例えば、インドのIT企業の役員たちは、交通渋滞を避けるために飛翔用の翼をつけて通勤するとかいうくだり。
この件に関しては、主人公が、インド行きの前にそれを教えられて「いくらなんでもそりゃないだろ!」と思っていたら、現地では本当に役員が翼をつけて出勤していたのでびっくりした、みたいな描写がある。
こういうメタが一つ入ると「え?まさか本当なの??」とか思ってしまうのだが、もちろん創作だろう。
役員が「私にむかって愛想よく片手を上げた。そのまま趣味のよいブルーのワイシャツの襟元をととのえつつ両翼を重ねて駐車場わきに無造作に放り出す、すると翼が地上に到達する直前に係員が受け止め、ほぼ一動作で駐車場隅の翼干場にふんわり置いた」。
こういう描写も、アレ、なんか本当の事話してるのかな??などと一瞬思ってしまう。
ファンタジーと言っても、あまり現実からは、ぶっ飛びすぎていないファンタジーなので、変なリアリティがあるのだ。
・・・けど、あまりインドの特殊な風土とかフォークロアに根ざしたファンタジーてわけでもないので、マジックリアリズムとは、ちょっと違う気がする。
また洪水のあと道端に積もった泥の中から、人々が思い出の中に埋もれていた大切な人を掘り起こしたりするのもファンタジーだ。
泥から掘り起こすのは、その人自身というよりは記憶の中のイメージのようで、主人公も、会社の管理職のお堅い感じの年配男性が、若い恋人の形で年配のご婦人に掘り出されているのを見かける。
彼も昔にロマンチックな悲恋物語があったらしい。
インドの風習や日常が紹介される
「百年泥」の中では日本からみると物珍しいインドの習慣や問題点も書かれていえう。例えばインドで恋愛結婚は稀で、大抵親の取り決めに従って結婚する。それに従わず自由恋愛するとなると駆け落ちになり、だがカップルを追いかけてきた親族による殺人も起こってしまう。しかもそれは名誉のためということで罰されないとか!
それに、女の子の社会的価値も低くて、女の子が生まれると誕生直後に命を奪われてしまうことも珍しくないとか。
他、警官が強くて、女性専用車に乗ってた男の子が婦人警官に張り倒されて前歯を追ったとか、言うことを聞かない群衆に、てんぱった警官が膝蹴りを食らわせるとか
(あ、これは日本でもデモとかで有りそうな風景だ汗
そういう暗黒面の風習についても語られている。
本当の主人公はデーヴァラージ?
これ、個人的に物足りなかったのは、主人公がほぼ傍観者的な立場に置かれてるとこだった。あくまでインドという世界を見るための窓口に過ぎない感じだ。
確かに、人魚のように何も言わない母と過ごした子供時代についても描かれてはいるのだけど、それは主人公を寡黙な人にするためのはいけいじじょうという感情で特別な価値は与えられていないように思えた。
とくに他のエピソードとつながっていったりはしない。
それは、主人公が多重債務でインドにいるという特殊事情についても言えることで、かなり深刻な事態なのだがその状況については説明がなくて必然性が感じられなかった。
何というか全体的に、物語ありきでここのディテールが呼び出されたというよりは、インドなどで見聞した実体験のネタ帳があって、そこから使えそうなエピソードを貼り合わせた感じなのでした。
なので小説というより旅行ブログを読んでいる気になってしまったのだった。
どうせだったら、インド滞在記とかノンフィクションのかたちで書いた方がリアルの手触りがあっていいのではないか、と思ってしまったのだった。
小説にする必然性はちょっと弱くて無難に書かれてるなあーなどと。
うーんまたいつものように辛口になってしまた・・σ(^_^;
ま個人的感想ですからー。
2019年の芥川賞受賞作についても、こちらでレビューしてます!