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日本文学の名作をおさらいっ。斬新過ぎる「学問のすすめ」【日本文学史まとめ・明治時代①】

自分のためにも日本文学の歴史をまとめるシリーズを書くことにしました。

何を隠そう、わたしも文学少女でしたが、どっちかという外国文学にかぶれてて、なんとなく地味な印象のある日本文学にはイマイチ興味を示せてなかったんですが、

しかし!日本文学にはこの国の歴史が詰まっておりマス。

特に、いまの色々と大変なことも多い日本の世の中を理解するためには、凄くいいテキストなんですよ。

それに、実は隠れた名作だって多い。

 そんなわけで、Wikipedia日本の近現代文学史の項に依拠しつつ、分かりやすく面白く(・・・という目標でね)、文学史をまとめてみることにしました。

受験生の方にも・・・まあ息抜きくらいにはなる勉強読み物ってことで。エピソード満載なので、背後ストーリーを知ると、暗記しやすくもなると思うぞよ~ん。それから年代についてはWikipediaによってますが、裏を取ってませんので、目安程度に考えてください。

 

 

明治維新で日本社会は大変動期に入る

日本語を廃止して、英語を国語にしちゃえよ!と有礼は言った。

1868年、10月23日に元号が慶応から明治に変わり、明治時代になりました。

ついに近代日本の幕開けです。

 西洋に追いつけ追い越せと、ともかく西洋思想を取り入れようという気運が盛り上がり、福沢諭吉「学問のすすめ」など人々を啓蒙しようとする本が出版されます。

 西洋思想を紹介して実利主義的な社会を作っていこうとするこの時代は、

「啓蒙時代」と呼ばれています。

 

 この立役者は、森有礼(1847-1889)が主宰した明六社。

森有礼というのは、現・一橋大学の創設者でもあるんですが、なかな豪胆な人物だったようで・・・。

18歳の時に密航してイギリスに渡り、ロシア、アメリカと様々な知識を学びながらわたり歩き、明治維新後に帰国してます。3年ほど、海外放浪してたわけですね。

・・・しかも密航!

 鹿児島県出身の、薩摩藩士でした。九州は今も男尊女卑の傾向が残っているといわれてますが、有礼(ありのり と読みます)も、「男おいどん」体質だったのか、というかむしろこの時代は日本社会全体が男性上位当然視だったわけですが・・・汗

 「良妻賢母」が日本にふさわしいと主張してました。第一次伊藤内閣の下で、文部大臣も務めていたので影響力はビッグだったと言えるでしょう。

 しかし保守的な反面、当時の人にしてはかなり革新的な発言もしていました。

ひとつが、英語の国語化!!

 これ実現してたら、日本人みな、今頃英語ペラペラで、世界中どこでも働きやすかったかもしれませんねーー。それに英語で思考していると、合理的考え方も身に付いて、必然的に英米との関係も深まり、太平洋戦争すらもしかしたら起こらなかったかも!?? 

 歴史にifはありませんが、そんな想像をかきたてられますっ。

それから、外国人との神道に関する議論では

「神道の中心思想は死者に対する敬虔な崇拝だ。日本の現絶対主義的政権を維持するために政府が巧みにこれを政治利用したことは実に正当だったと考えるが、日本の初期の歴史記録とされている書物は信頼に値するとは到底言えない。」

って述べてるんですねー。「政府が巧みに政治利用」したのは、うまくやったけど、初期記録は「信頼に値しない」って。

 現在でも、保守議員の中には、神武天皇信じちゃえマインドあったりしますが、ちゃんとバッサリ見抜いていたんですね。

 ま、こんな彼が作ったのが

明六社

で、名前の通り、明治六年に作られたのであった。

 有名なメンバーには、ご存じ福沢諭吉や、西洋哲学の紹介に努めた西周がいます。

富国強兵のために「国民一人一人の知的向上が必要」として、日本に学会を導入しました。

明六社は、文化人だけでなく、勝海舟や浄土真宗、新聞社、日本銀行など、各界のエリートが入り乱れる場所だったのでした。

 

福沢諭吉 学問のすすめ

FukuzawaYukichi

 △まだ若い諭吉どん。

正確には、真ん中の「す」は「く」を反対にしたような例の字ですが、ここは新字で。

 明治時代なんていうと、まだまだ人々は貧しいから、どーせエリート層向けだったんだろ??とか思っちゃいますが、

 いがいやいがい、すっごく売れたんですね、この本。

 1872年に最初に出版されたのですが、

当時の日本の人口は3000万人ほどでしたが、最終的には300万部が売れたといわれています。なんと10人に1人は読んでいたという計算。読み書きできる人も今より少なかったでしょうし、これは驚異的数字かと思われます。

 目標としては

儒教思想を否定して、日本国民を封建支配下の無知蒙昧な民衆から、近代民主主義国家の自覚ある市民に意識改革することを意図する

 ことが意図されてました。

「民主主義」は日本の国風にあわないとかゆう、超逆戻り発言をする議員がいる昨今ですが汗汗 、しかし諭吉のいった「自覚ある市民」は140年くらいたつ今でも、まだ形成されてはいないですね・・・。なんでだろうか。。。

 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり

というフレーズが有名ですが、

そのほかにも現代人から見てもかなり先進的なことを言ってます!

赤穂浪士の討ち入りは「私的制裁」だからよくない!

とか忠臣蔵をdisったり。

 江戸時代の社会をつくる中心的な儒教的価値観、子は親に、部下は上司に、女は男へ従えという価値観をひっくり返し、男女同権論を主張したりも。

 さらに、西洋から来た民主主義などを語りつつも、西洋文明を盲信することもいさめたんです。西洋文明の進歩は既存の価値観に対する疑問から発生したことを踏まえて。

 めっちゃ革新的!!!

 

 なんですが、ちょうどこのころは新政府が、日本をどういう国にするか考えていた時期でもありました。福沢は封建的な儒教精神からは完全にサヨナラした、独立して考える個々の市民による国家を構想してたんですが、

 明治政府は、天皇に忠義を誓う国家体制を作ることを決めます。

 その方針が顕著になった明治15年頃から、福沢は当然、江戸時代の遅れた儒教精神への逆戻りだ!!と大反対したわけなんですが、かえって、非難や攻撃の的になってしまったようです。

 ウーン、このころから、残業大量にして会社に尽くせ!!的ななーんか前近代的・封建的方向へと日本が道を逆戻りしていっちゃったんでしょうかねえ。

 色々と考えさせられますわ・・・。

 

「西国立志編」は明治時代の元祖ビジネス書!

 明六社の中村正直が、1871年に刊行した本。明治おわりまでに100万部以上売り上げてるベストセラーです。

 これは実は中村さんが書いたものではないんですな。

 翻訳です。もとは、サミュエル・スマイルズというひとのかいた、欧米の人々300人の成功伝記なのでした。

 まあだから、「ウエスタン」ってことで「西国」、さらに明治維新っぽくアレンジして「立志」というタイトルを付けたのでしょう。

 もとのタイトルは「self-help」です。

 全然印象違いませんか笑

 「天はみずからを助けるものをたすく」という諺から来ているようですね。

 現代でも、成功したびじねすまんの伝記というのは、何かと需要がありますが、

この本が近代的なビジネス啓発書の走りといってもいいかもしれません。

 実際、斎藤孝さんとかが、現代語訳版を出したりしてます笑

教科書としてもしばらく使用されてたのですが、1880年に文部省が、翻訳書は教科書には不適当としてしまい、教科書からは削除されちゃいました。

 

 まとめ

 あれ、意外と長くなってきたな・・・。続きはまた今度書きまーす。

結構分かりやすくかけた気がするぞっ。??

 

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