お腹ポニョポニョの、呑気なパンダが、なぜか「龍の戦士」に選ばれてしまい、食い意地とのんびりさを活かしたファイティングスタイルで成長していくシリーズである。映画版第二弾では、「心の平和」がテーマになる。
そして、なぜかポーのお父さんはパンダでなく、ガチョウみたいな鳥なのだが、見るからに血が繋がっていない・・・。
今回は、そんなポーの出生の秘密も明らかになる!そんなわけで、視聴しましたので口コミ情報をお届け。
カンフーパンダ2のあらすじ
前回、タイ・ランを倒したことで、「龍の戦士」ポーは、国民的ヒーローになっている。ラーメン屋のお父さんも、ポーのサイン入りポスターを店に貼ったり、ポーにちなんだ特別メニューを作ったりと、誇らしげに商売にも使っている。
ところがそこに、孔雀のシェン大老が攻めてくる。正攻法のカンフーではなく、シェンは機械の力で中国全土を支配しようとする。シェンが持ち出したのは、巨大な大砲である。はたして、生身で闘うカンフーが、大砲に勝つことは出来るのか??
さらに今回はポーの出生の秘密が絡んでくる。シェンの孔雀の羽根に刻まれた、目玉模様を見ると、催眠術のようにして、ポーを幼い時のフラッシュバックが襲うのである。それは、小さい自分を置いて別れていく、パンダの母親の姿だった・・・。そのシーンを見ると戦闘不能になってしまうポー。さらに、ラーメン屋の父親が本当の父親ではないこともハッキリとして、途方にくれる。
実はシェンは、ポーが実の両親と生き別れになってしまった原因を作った張本人だったのだ。
ポーは葛藤を乗り越えて、シェンと対決することができるのだろうか・・?
映画「カンフーパンダ2」の監督やキャスト
監督・・・ジェニファー・ユー・ネルソン
キャスト・・・ポー=ジャック・ブラック
マスター虎=アンジェリーナ・ジョリー
マスター猿=ジャッキー・チェン
シーフー老子=ダスティン・ホフマン
シェン大老=ゲイリー・オールドマン
今回も、声の出演はいかにも豪華!ジャッキー・チェンも脇役出演しているし、適役のシェン大老にはゲイリー・オールドマン参上。個性的な悪役キャラを演じたらなかなか右に出るものはいない味のある俳優だ。
映画「カンフーパンダ2」の上映時間や日本公開日
- 上映時間・・・90分
- 日本公開日・・・2011年8月19日
- 配給会社・・・パラマウント
映画「カンフーパンダ2」を観た感想
今回はしんみりとさせるシーンもあり。
前回は、本当にドタバタのアクション・コメディといった側面が強かったが、今回はそこに少しだけ、親子の絆というテーマが浮上して、後半ではほろりとさせる泣けるシーンもあった。
血が繋がっていない親子であることがハッキリしてからも、育ての親を「オヤジ」と認めるポオの場面である。それから、「心の平和」を求めるシーン。
シーフー老子が、カンフーの構えをゆっくりと動かしながら、木から零れ落ちてきた水滴の一粒を手で受け止めて、その形を保ったまま、違う方向に弾き飛ばすというシーンを目にして、ポーは感銘を受ける。流体の動きに無駄に逆らわず、その力を利用して受け流すこと。「ただ流れるままにまかせる」。これが、ポーが出生をめぐる葛藤を克服するうえでも、巨大大砲と素手で闘う上でも大切なことだった。
前作よりも戦闘シーンはカット割りがうまくできている
「カンフーパンダ」映画版1では、ロングショットが多くて、人物が小さくちょこちょこ遠くでアクションしていて、なんだか見にくい印象もあったのだが、今回は改善されていた。
クローズアップの場面が多くて、動きに迫力がある。そしてクローズアップから、いきなり大きく俯瞰した図になる転換も見事。カメラがポーなどの顔のアップからどんどん引いて、彼らがいる建物、そして山々、など、最後は空から鳥の目線で見下ろしたランドスケープみたいになったりする。
問題点としては、主人公達が強すぎる点か??
そんなわけで、映像的にはうまく出来ている。印象的だったのは、ポーの育ての親の鳥さんが、ポーのまるまるふかふかしたおなかに飛びつくシーン。これ、もしかして、大きなトトロに、メイ達が飛びつく、あの「となりのトトロ」シーンにインスピレーション受けてるのかな?と思ったとても似ている。
で、なんだけど、少しつまらなかった点も挙げるとすれば、主人公達が強すぎることだろうか・・・。レベルを上げ過ぎたゲームみたいな感じがある。
どんな危機にあっても、割とたやすく潜り抜けてしまうし、敵の軍団が束になってかかってきても、一網打尽でふっ飛ばしてしまう。
少年漫画の定石なんかだと、「ああもう本当にダメかも」と危機を感じさせるシーンを入れて盛り上げるのだが、そういう「本当にヤバい」感のある場面はなかった。
まとめ
全体的に楽観的で楽しく、子供にはいいかもしれない。でもやっぱり、今回も大人が見るには、ちょっと退屈かもしれん・・・という結論に達したのであった。