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【辛口】又吉直樹「劇場」を読んだ感想。純文学はもうオワコン?【恋愛?小説】

 

 

 又吉直樹の話題作「劇場」を読んだのでレビュー。個人的には、やはりあまり面白く感じられなかった("^ω^)・・・やっぱもう、純文学は死んでるな、文芸誌なくなるのも時間の問題・・・と思ったのだった。エンタメ系のはまだ読んで面白いのが多いけど・・・。これからは文芸誌は、はるか昔のように同人雑誌化するのであろう・・・。

 あるいは、純文学とエンタメ系などというジャンル分け自体が、もはや業界を良くするには機能していないのかもしれない・・・などなどと・・・。

やはり芸人としての知名度がなければ、そんなに読まれるものでもないかね。ともあれ・・・。

 

 

又吉直樹「劇場」の登場人物

 

  • 永田

 主人公。劇作家を目指して上京してきたが、思うように知名度があがらず、貧乏暮らし。家賃を払えなくなって、路上で出会った沙希の家に転がり込む・・・。

 

  • 沙希

 うっかり永田に出会ってしまったのが運の尽き?お芝居をやりたくて上京してきたわりには、そんなに芝居はせず。服飾学校に通っている。まだ19歳くらいか。天真爛漫で無邪気。あまり人を疑ったりしない。

 

  • 青山

 永田が主宰していた劇団の女優だったが、他の何人かと一緒に、方針に不満を持って脱退。何年か後は、雑文を書いたりの仕事をしていて、永田にも仕事をよこしてくれる。キレルと「このクソが」みたいな、超男言葉のメールで罵倒してくるファンキーなお姉さん。

 

  • 小峰

 永田と直接の知り合いではないけれど、「まだ死んでないよ」という世間の注目を浴びている若手劇団の主宰で、永田に常にコンプレックスを抱かせている。

 

又吉直樹「劇場」のあらすじ【ネタバレ】

  演劇青年の永田は、お金が尽きて食うに食えず、朦朧として街をさまよっていて、偶然画廊の前で出くわした女の子に声をかける。いきなり「あした、遊べる?」「よかったら、涼しい店で、でもさっきタンクトップ買って、お金ないから、あきらめます」などなど、怪しいこと限りなし。

 だがなぜか、この女の子沙希は、「お腹空いてるんですか?」と喫茶店でおごってくれるのだった。

 永田は電話番号をゲットするが、二人は特に会うでもなく、永田の悶々とした日々は続く。「おろか」とかいう名前の自分の劇団では、五人しかいない団員のうち三人ほどが永田の前衛的な演出は面白くないと、けちょんけちょんにけなあして去っていく。

 そんな時、永田は沙希に「明日家具を見に行くんですが、暇だったら一緒に行きませんか?」と、友達に教えてもらった通りのデートへの誘い文句をメールする。

 帰って来たのは「ごめん!全然暇だけど!」という返信。ガックリする永だったが、実はそれは断りの文句じゃなくて、「ぜひ行く!」という意味だった。独特の若者言葉だったのだ。

 そんなこんなで永田と沙希はいつの間にか仲良くなり、ついにお金の尽きた永田は沙希の部屋に転がり込む。沙希は、両親に仕送りしてもらって、一人暮らしをして学校に行っていた。それもあり、永田は一銭も払わず、家賃、光熱費、食費、すべて沙希側に持ってもらっていて、食事まで作ってもらっている。完全なる紐状態である。

 でも永田は、そんな依存状態にもコンプレックスを感じていて、心にモヤモヤが鬱積していく。沙希が、学校で友達に貰った!と、突然原付バイクに乗って現れても、素直に驚いたり喜んだりできず、その男友達の下心を疑ってしまい、意図的に蹴り倒して、結果的にバイクを壊してしまう。

 沙希の母親が「段ボールで送る食料を知らない男に食べられるのはやだ」と言ってたと聞いて、マジでふてくされてしまったりもする。

 昼間は脚本を考えようと街をふらふらしているのでバイトもできず、お金がない。何年か過ぎて、沙希は専門学校を卒業し、親からの仕送りも止まったので、昼間はアパレルで、夜は居酒屋で働きはじめる。「光熱費くらい入れてよ」と沙希はいうが、永田は「人の家の光熱費を払う意味わからん」といい、なぜか沙希も「だよねー」と飲み込まれてしまう。

 永田は再会した元劇団員の青山に、ライター仕事をもらい、やっと自分の部屋を借りれることになった。しかし広い部屋で一緒に暮らしてもいいのでは、と思っていた沙希はがっかり。

 相変わらずな日々だったが、だんだんと沙希は夜になっても自分の部屋にいなかったり、いてもお酒を飲んでいる日々が続く。そして沙希がバイトしている居酒屋の店員には、なんと永田がコンプレックスを感じている「天才」でありライバルである小峰の劇団員がいたのだった。沙希が今までそのことに触れなかったことに衝撃を覚える永田。しかも、沙希はどうも店長と親密になっている気配もある・・・。自分が何をしているのかよくわからないまま、店長の家に向かう永田だが・・・。

 

又吉直樹「劇場」を批判的に読むと・・・。

 

 なんというか、芸人系ってこういう人多いのかもしれないが、このうだつの上がらない青年のダラダラとした日常に、なんでつき合わされなければいけないんじゃ!と思ってしまう。

 まず、永田、彼女のことを完璧に母親扱いにしている気がする。沙希はとことんいい性格をしていて、ふらふらしている永田をなじりもせず、脚本を考えてそうな時は、ちゃんと話しかけずに黙ってあげていたり、夜遅い時でも無言で送り出してくれる。だがこの気遣いも、永田は重く感じてしまい、イライラするのだった。そして自己嫌悪するのだが、なんかこれって母親に甘えている子供そのままの構図だよなあ・・・。

 住まいと食べ物を与えてくれるのが当然視されていて、あまり感謝はされていない。

 

そして、会話は永田が独り言っぽく喋ることが多くて、沙希との雑談はたまに出てきても何か、深い話を語り合うなんてことも、沙希とはない。最初からマンネリ化したカップルみたいに、彼女がそばにいて、自分を支えてくれるのが、当たり前みたいになっているのだ。

 そんな調子で、二人の関係はダラダラと、なれ合いで続いていく。小説自体も、マンネリ化したカップルみたいに、特に起伏もなく、ひたすら退屈な日常と演劇青年の悶々が書かれていくだけなのだ。。。そして、この悶々にも特に、切実なものがなくて、どこかのんきなので、読んでいてあまり心に迫ってくるものがない。

 本当に、そのへんに幾らでもいそうな、だらだらカップルの日常を、もうちょっとリアルに写し取っただけなら、もっと面白かったかもしれない。しかし、なんか無難に上っ面だけ書かれている感じもしてしまう。

 あと視覚的イメージが非常に弱く感じた。くっきりと人物像が頭に浮かんでくるキャラクターがほとんどいない

 永田は、自分が書いた脚本について、酔ったおじさんに「脚本の都合で人を劇的なシチュエーションに追い込むなんて感心しない」といわれ「脚本の都合で人を平凡な毎日に置き続ける手法だって作者都合やろ」と反発するのだが、又吉がこの本でやってしまっているのは、まさにそういうことかもしれない・・・。

 青山が文芸誌に書いた小説を、永田は嫉妬まじりで読みつつ「こじゃれた喫茶店の壁紙みたい」と、揶揄するのだったが、青山は「現実がつらいなら、読んでいる時くらい楽しませてあげたい」などという返答をする。

 私も、こういう洒落た壁紙みたいな小説の方が、平凡なうだつのあがらん日常をダラダラ書かれてる小説よりも、好きだし欲している・・・。プアな毎日を送っているものとしては、これ以上そういうリアリティはいらないのだ。

 なのでこれは「恋愛小説」とかも言われているが、恋愛のドラマチックさやロマンチックさはいっさいない、小説であるので、その辺の期待はしないほうがよいと思う。

所帯じみた二人がスーパーで値下がりした野菜買って帰る、プア世代の現実を書いているのである・・・。

 とまあ酷評になってしまったが、正直、どうだろうこれはもう日本の純文学というもののある意味行き詰まりなんじゃないの?と思ってしまう。

 

純文学ってやっぱもうオワコンなんじゃない?

 なんてもう、誰もが思ってしまって、久しいことをまたここでも言ってしまわざるを得ない・・・。なんで日本の純文学ってこんなにつまらなくなったんだろう。劣化激しい。正直、たまに文芸誌手にとっても、あまりのつまらなさに、すぐに投げ出してしまうことが多い。

 そもそも、日本の純文学っていうのは私小説の流れから来ている。田山花袋の布団で、女生徒の残り香を力いっぱい嗅ぎまくる変態的?衝動が描かれたあたりが起こりだが、人間があまり人様の前では言わなかった、醜い感情を、わざわざ書いたり、内面の弱さを吐露したりしていたのだが、そういうこと自体が、当時の社会では破壊力があったのだ。モラルやきれいごとや社会秩序に対して、異議を突き付けられたからだ。

 社会批判的潜勢力があった。

 でも今はどうだろう、人の内面のドロドロしたものの吐露なんか、もうありふれているし、使い古されていて、何もインパクトがないし面白くもない。社会批判能力だってない。

 プロレタリア文学の「蟹工船」みたく、現代の過酷な労働条件やプアな様子を克明にリアルに映し出せば、それはそれで社会批判にはなる気もするけれど・・・・。

 なんの批判力も持たないような、そのへんの人物の何気ない日常だけ淡々と語られても、困るのだ。特にあなたに興味ないし、私・・・。といった感じ。いわゆる「純文学」といわれるものの、多くが、そういうダラダラ私小説に墜ちてしまってる感じがする。それで文章が超絶技巧的にうまければ、それはそれで凄いんだが、そんなのは稀だ。それで読み終わると、わしの時間を返して・・・と思ってしまうわけだ・・。冷たい言い方だが、知らない他人の悩みになど興味ないのだ。もうちょっと、それを普遍化する努力をしてほしい。

 その点、エンタメ系の作品はまだ、読者を楽しませるというサービス心があるからすごいと思う。

 以上、不満タラタラになってしまったが・・・。たぶんもう、日本の純文学(私小説的なもの)というのは歴史的に一定の役割を終えたのだと思う。 

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