待望のジブリ・・・と思いきや、ジブリじゃなかった!
「借りぐらしのアリエッティ」を作った米林監督が独立して始めてつくる映画。スタジオポノックという、これまたジブリ出身のプロデューサー西村義明が立ち上げた映画製作会社の長編第一作とか!
試写会で見た人は「反原発」だった==といってて、
本当なのかな~?と気になった。
予告編見る限り映像も迫力もすごそうだから、これは期待度大!
・・・大体わたしは、「借りぐらしのアリエッティ」で泣かされた人なのだった。
最近のジブリ作品の中では、宮崎駿監督のものをのぞいたら、この「アリエッティ」が抜群で好きだったぞー。
そんなわけで、米林監督には期待している。
で、どうなのか実際!?
というわけで、これから観に行くのだ!
「メアリと魔女の花」主な登場人物
- メアリ
主人公の少女。赤毛でぼさぼさの頭がコンプレックス。元気でなんでもやりたがるが、不器用でなんでも失敗してしまう。
理由は不明だが、親戚のおばさんの家(?)に預けられている。
- おば様
「叔母」なのか「伯母」なのか、単なる「小母」で、血の繋がりはないのか不明だが(実は魔女だった過去をもつので、たぶんメアリの親戚)穏やかな白髪の老婦人で、メアリを預かっている。
- ピーター
近所に住んでいる金髪の男の子。メアリを「赤毛猿」とからかうが、根はいいやつ。メアリと魔女の森の騒動に巻き込まれて、さらわれてしまう。
- 魔女大学の先生
天空にある魔女大学の校長を務めている派手な老婦人。強力な魔法使いでもある。「魔女の花」を使って究極の魔法を完成させようとしている。
「メアリと魔女の花」あらすじ
メアリはおば様の邸宅に引き取られ、田園と森に囲まれたのどかな田舎で生活している。庭師もおばも、お手伝いさんも、お年寄りが多い。まわりの人たちの役に立ちたいといつも願っていて、自分からお皿を運んだり花の手入れを手伝ったり、積極的にするのだが、元来がドジなため失敗ばかり。
しかも、ぼさぼさの赤毛頭にもコンプレックスを抱いている。
ある日、近所のピーターが飼っている二匹の猫に誘われるように、森へ入ってしまう。霧が立ち込めている時は入ってはいけない、といわれている森だった。
そして、青紫色の光線を発している、竜胆みたいな花を発見する。あまりの綺麗さにほれぼれして、持ち帰り部屋の花瓶に挿しておくのだった。
ところがその花は、禁断の「魔女の花」だったのだ。
超自然的な力を秘めていて、時折青白く発光する謎の花だ。
その花の光に導かれて誘われた森の奥で、メアリは古びた箒(ほうき)を見つけてしまう。紋章が刻まれたその箒は、たちまちそれを手にとったメアリの手のひらからくっついて離れなくなってしまった。しかも箒は動物のように動き出し、そのままメアリを乗せて空高く連れていかれてしまう。
必死でホウキにしがみつくメアリ。
キノコのようにそびえる黒雲の中に着地すると、そこは魔法学校だった・・・。
「魔女の花」の別名は「夜間飛行」。
「夜間飛行」の力を授けられているメアリは、魔法学校で竜巻を起こしたりなど奇跡的に高度な術を見せて、「あなたは凄い、その赤毛はいい魔法使いのしるし。あなたのような才能のある生徒をずっと待っていた」など、さんざん校長と魔法科学博士にほめそやされる。
だが、その魔法は一時的に「夜間飛行」からもらってるに過ぎない。
それでも嬉しいメアリ。
しかし、校長にメアリが「夜間飛行」を持っているのがバレてしまい、校長の態度は急変、「どこにあるのか教えなさい」とメアリに迫ってくる。
逃げ出したメアリだが、その時校長に「わたしは知らないけど、ピーターが花の場所を知っている」とうっかり嘘をついてしまい、そのせいでピーターが魔女にさらわれてしまった。
彼を救うために、魔女の花をたずさえて、もういっかい天空の学校までホウキで旅立つメアリ。
だが、校長と博士は、その花の力を使って非常にいまわしい実験を開始しようとしていたのだった。
魔女の花が生み出す爆発的なパワーを実験台となったピーターに注ぎ込み、彼をどんな魔法でも使える万能の、しかし異形の存在に変えようとしていたのだ・・・。
(続く)
「メアリと魔女の花」を見た感想【ネタバレ有】
反原発映画なのか?
冒頭で「反原発」だったという話を紹介したが、確かに「反原発」だった・・!途中までは、うーんこの「魔女の花」というのが、核分裂で生み出される莫大なパワーの象徴なのだろうな・・・と思う程度だったのだが、ラストで、もろに「原子炉」が出てくる。
ピーターが実験台にされる装置の構造は、ドームの中に、妙な配管がくねりまわり、管の中を液体が循環し、格納容器が中心にあるという原子炉の構造そのまんま。
そしてなんとメルトダウンの光景まで出てくる。
強力なパワーを一身に注がれたピーターは、一瞬、非常に美しい青年へと成長し、さらに天使のように大きな翼を生やすのだが、そのまま青白い光に包まれ、どろどろに溶けて、容器の下に溶け落ちてしまうのだ。
「ザ・制御・不可能、アウトオブコントロール」である。
そのまま暴れまくるピーター・・というか、不定形の青白い溶融物。
その中から、時々ピーターが顔や腕をのぞかせて助けを求める。
メアリはその手に「すべての魔法を解除する呪文」のページを接触させることに成功。そして二人が同時に呪文を唱える時、
メアリが言うのは「バルス!!」って・・・ではなくって・・・(すみません汗)
「魔法なんかいらない!」である。
生物を異形に変えてしまうような、マガマガシイ力なぞ、たとえ強力なものだろうと、いらない!というのだ。
これは明かに「原子力なんかいらない!」と読み替えてもいいと思う。
・・・このメッセージに全然異論はない。大賛成。
けれど、メッセージがストレートな分、ディティールが疎かになってしまっているところもあったかもしれない。
説明不足になっているところも
物語の中では、「夜間飛行」はウランではなく、魔法を強力に増幅させる謎の存在だった。で、校長と博士がやろうとしていることも、もちろん核分裂の実験ではなくて、究極の魔法を生み出す実験。
なんだけど、この究極魔法というのが、原子力のメタファーになっているせいなのか、実際に何なのかが分かりにくい。
彼らは、森の動物達を使って、変身実験を行っている。
動物たちは異形な姿になって、学園の地下に閉じ込められている。翼のかわりに結晶を生やした孔雀、花が沢山咲いたロバのような、でも鳥みたいなクチバシを持つ姿・・などなど、こういうのはやっぱり、
放射能で突然変異した動物や植物を思わせる。
たんぽぽが巨大化して、攻撃的な禍々しいオーラを醸し出してるみたいな。
で、彼らが「魔女の花」で究極の変身実験(ピーターの体に魔力を注ぎ込み、変身させる)を行うと、「すべての人が魔法を使えるようになる」「ピーターはすべての魔法を使えるようになる」らしい。
・・・っていうのが、一体どんなことなのかイマイチピンとこなかったのだった・・。物語の中では、原子力じゃなく、あくまで魔法なわけだし、皆が魔法使えるようになったら素晴らしい気もしてしまったり・・・。
もちろん「制御不可能」なものを、人間は手にすべきではない、と言いたいことは分かるのだが・・・。
原作があるアニメだけに、もうちょっと説明が欲しいところがあった。
他にも、メアリとおばさんの関係とか。
おばさんの過去とか。
この映画は、冒頭、おばさんが若かった頃のシーンから始まる。若き魔女が、「夜間飛行」を持って天空から逃げてきて、嵐の中追手をかわしていく、迫力満点なシーンだ。
魔女は森に墜落してしまう。
で、次におばさんの家で目覚めるメアリのカットなので、メアリがさっきまで追いかけられていた魔女なのか?と思いきやそうではなかった。
おばさんの若い頃のエピソードなのだった。物語の後半で、そのことが明かされ、メアリはおばさんが昔住んでいた、孤島にある家を訪れることになる。
おばさんの若い頃は、キリッとした魅力的な女性である。
なんで、この人の若い頃のエピソードをもっと見たかった気もする。
魔法学校の校長と博士も、若い頃は善良な教育者だったのに、「魔女の花」に憑りつかれてから、狂ってしまったというが、その過程も見たかった。それに、なんでおばさんは、「魔女の花」を入手したのに、正気を保てたのかも気になる。
動物がキャラっぽいのがジブリと違う
ジブリと違うなあーと思ったのは、動物のキャラっぽさだろうか。
たとえば、「もののけ姫」とかだと、犬神の毛の一本一本や、唸る時の鼻筋の皺までリアルに描き込まれている。風になびく毛並みもとてもリアル。
なのだけど「メアリと魔女の花」では、動物達がわりとアニメっぽくデフォルメされていた。
二匹の猫も、毛までは書き込まれていない。そして、なんか不細工な顔してる(笑)
ブサ猫。これを可愛いと思うかどうかは、好みが分かれるとこだと思う。
変身実験の材料にされる森の動物達も出てくるのだけど、彼らもどっちかというと輪郭線がクッキリ描かれていて、そんなに立体的に書き込まれているわけではない。
ジブリアニメを見慣れている目にはどうしても期待度が高くなってしまうので、このへんはちょっと物足りなかった・・・。
とはいえ、これはジブリが使えるだろう潤沢な予算(?)を考えると仕方ないところもあるのかもしれない。
あと、森(日本の屋久島あたり思わせる)と、田園風景(オランダの田舎みたい)などの背景はとても綺麗に描かれていたけども、「風が吹き抜けていく時の気持ちよさ」みたいな観客に触覚的に風を感じさせる度合いはちょっと少なかったかもしれない。
いや、でもとても良く出来てはいた。
物足りなく感じるのは、こちらの期待が高すぎちゃっているせいもあるだろう。
極彩色は制御不可能な力のしるし?
映画に出てくる魔法学園も、元魔女だったおばさんの家も、やたらとカラフルで、観終わってから「色彩」というものについて考えさせられた。
まず「魔女の花」が放つ青紫の、冷たくて怖いLEDライトみたいな光、あれはたぶん「チェレンコフ光」のイメージなんだろう。核物質が臨界に達するとうっすらと青白い燐光を発するという。
それを人間が目にしたときには、すでに甚大な被曝をしているというから、致死的な光だ。
そして、極彩色ということで思い出すのは、ある被曝者の証言。
広島に核爆弾が落ちた時、まぶたをしっかり閉じていたにもかかわらず、強烈な光に襲われ、その光は赤、紫、黄色、ブルー、ピンク、などなど極彩色が白い強烈な光線に入り乱れるもので、非常に美しかったという。
極彩色というのは、あまり自然界では見かけないものだ。
野原は緑だし、山も森も、緑とグレーと茶色と・・・大体、アースカラーに染まっている。空は青、海も青、だいたい、そういうネイチャーカラーが画面の大半を占めているのが自然な状態だ。
私たちが休日に森に入ったり海を見たりしていると落ち着くっていうのも、そういう単一な色彩も関係していると思う。
色彩っていうのは、それだけで強烈な信号になっている。都会には色彩が溢れまくっていて、考えてみるとこういうのは自然にはない。
原子爆弾が落ちたときのキノコ雲下方に見られたような、うっとりするほど美しい極彩色も、なにか、自然のバランスを崩すような強力なエネルギーがそこにあるということを表現している。
・・・そんなわけで、「メアリと魔女の花」の色彩の使い方は、「チェレンコフ光」といい禍々しいほどビビッドな「極彩色」といい、正しいといえる。
それなだけに、もっと「極彩色」と、平和な「アースカラー」の対比も欲しかったように思う。
同じことが色だけでなくて、場面の運び方にかんしてもいえて、平穏で静かな場面はカタルシス感じさせるくらいに静かな場面があっても良かったのじゃないかと思う。
どっちかというと、割と次から次へと物語が展開して、飽きないのだけど、メリハリがない分、体験が弱まってしまう感じがして、惜しいなあと思った。