パリのノートルダム寺院が火災になっています。
この大聖堂は、白亜の美しい姿が、戦前の日本人の心をも捉えていました。
教科書に出て来る詩人で彫刻家の「高村光太郎」は、皆さん名前を知っていると思います。
「道程」が有名ですね。
”僕の前に道はない
僕のうしろに道はできる”
という一節を読んだ、読まされたことはあるのでは??
このヒロイックなダイナミックな詩で有名な高村光太郎ですが、実はノートルダム大聖堂の詩も書いていました。
そしてそこには憧れの西洋への屈折した思いが見られるのですよー。
今回のニュースでその詩を思い出したので紹介してみようと思います。
高村光太郎が書いたノートルダム寺院の作品
「雨にうたるるカテドラル」という題名の詩です。
もう著作権切れてますので、
本文の一部と解説入れときます。
「雨にうたるるカテドラル」
おう又吹きつのるあめかぜ。
外套の襟を立てて横しぶきのこの雨にぬれながら、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。
毎日一度はきつとここへ来るわたくしです。
あの日本人です。
けさ、
夜明方から急にあれ出した恐ろしい嵐が、
今巴里の果から果を吹きまくつてゐます。
わたくしにはまだこの土地の方角が分かりません。
イイル ド フランスに荒れ狂つてゐるこの嵐の顔がどちらを向いてゐるかさへ知りません。
ただわたくしは今日も此処に立つて、
ノオトルダム ド パリのカテドラル、
あなたを見上げたいばかりにぬれて来ました、
あなたにさはりたいばかりに、
あなたの石のはだに人しれず接吻したいばかりに。
ところはパリ。
若い日の高村光太郎は、1908-1909年の一年間ほどをパリですごしています。
彫刻家としての修行をしてた頃で、ロダンの作品に魅了されてました。
嵐にもかかわらず、25歳くらいの若者だった高村光太郎は、ノートルダム大聖堂を見にやってきたようです。
「土地の方角が分かりません」
とあるので、まだパリに着いて間もないころだったんでしょう。
そのころからすでに、高くそびえるこの大聖堂には魅せられていたようですね。
「人しれず接吻したい」「さわりたい」
と、まるで恋する女性に対するように強烈に惹かれていたようです。
さすが、ここは彫刻家の感性が鋭かったといえましょう。
おう又吹きつのるあめかぜ。
もう朝のカフエの時刻だのに
さつきポン ヌウフから見れば、
セエヌ河の船は皆小狗(こいぬ)のやうに河べりに繋がれたままです。
秋の色にかがやく河岸の並木のやさしいプラタンの葉は、
鷹に追はれた頬白の群のやう、
きらきらぱらぱら飛びまよつてゐます
朝の雨だったみたい。
セーヌ河に浮かぶ船や、プラタナスの葉が風に舞い飛ぶ様子が
きれいに描かれています。
嵐はわたくしの国日本でもこのやうです。
ただ聳え立つあなたの姿を見ないだけです。
嵐は日本と変わりないけど、日本にはノートルダム大聖堂がない、と言ってます。
おう眼の前に聳え立つノオトルダム ド パリ、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。
あの日本人です。
わたくしの心は今あなたを見て身ぶるひします。
あなたのこの悲壮劇に似た姿を目にして、
はるか遠くの国から来たわかものの胸はいつぱいです。
何の故かまるで知らず心の高鳴りは
空中の叫喚に声を合せてただをののくばかりに響きます。
「あの日本人です」
という言葉からも、故郷を離れて異国の地へとやってきた若者の思いが伝わって来るようです。
1908年ごろは、今みたいに日本からの留学生が多く住むパリではなく、アジア人というと、まだまだパリといえども珍しかった時期かと思います。
自分が日本人であることを意識させられる場面は多かったでしょう。
薔薇窓のダンテルにぶつけ、はじけ、ながれ、羽ばたく無数の小さな光つたエルフ。
しぶきの間に見えかくれるあの高い建築べりのガルグイユのばけものだけが、
飛びかはすエルフの群を引きうけて、
前足を上げ首をのばし、
歯をむき出して燃える噴水の息をふきかけてゐます。
不思議な石の聖徒の幾列は異様な手つきをして互にうなづき、
横手の巨大な支壁(アルブウタン)はいつもながらの二の腕を見せてゐます。
その斜めに弧線をゑがく幾本かの腕に
おう何といふあめかぜの集中。
ミサの日のオルグのとどろきを其処に聞きます。
あのほそく高い尖塔のさきの鶏はどうしてゐるでせう。
はためく水の幔(まん)まくが今は四方を張りつめました。
その中にあなたは立つ。
ノートルダム大聖堂の構造がくっきり描写されています。
飾り窓に彫られた妖精たち、
中世の教会には多くつくられたガーゴイルなどの妖怪達。
妖怪の噴水。
尖塔の先に、高村光太郎は風見鶏(?)を見ていたようです。
おう又吹きつのるあめかぜ。
その中で
八世紀間の重みにがつしりと立つカテドラル、
昔の信ある人人の手で一つづつ積まれ刻まれた幾億の石のかたまり。
真理と誠実との永遠への大足場。
あなたはただ黙つて立つ、
吹きあてる嵐の力のぢつと受けて立つ。
あなたは天然の力の強さを知つてゐる、
しかも大地のゆるがぬ限りあめかぜの跳梁に身をまかせる心の落着を持つてゐる。
すごい雨風に打たれながらも、がっしりしっかりと立っている堅牢なノートルダム寺院。
日本文化にはなかった、石造りのその重々しさや落ち着きに、高村光太郎は感嘆しているようです。
今此処で、
あなたの角石(かどいし)に両手をあてて熱い頬(ほ)を
あなたのはだにぴつたり寄せかけてゐる者をぶしつけとお思ひ下さいますな、
酔へる者なるわたくしです。
あの日本人です。
そして、高村光太郎はまだ若い頃のその肌を、ノートルダム寺院の角石に押しあてて、体ごとその存在感に感じ入っていたようです。
高村光太郎をここまで感嘆させ、同時に日本にはないこうした美を作り出す西洋文明への劣等感も同時に感じさせていたと思われる
(光太郎の「根付の国」などは日本批判が現れてます)
歴史的建造物。
生で見ると、すごい迫力があったのでしょう。
もし高村光太郎がまだ生きていたら、今回のニュースにはなんとコメントしていたでしょうね・・・・。