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シンゴジラを観た感想・・・絶賛は出来ない理由。色々と危険な側面も有り。【ネタバレ注意報】

Godzilla

トピック「シン・ゴジラ」について

庵野秀明の最新作、シン・ゴジラを観てきた。2011年震災後の日本を反映しているという意見が多かったので気になったのだった。しかし、観終わって非常に複雑な気分になった・・・。面白い点もたくさんあったが「ゴジライイ!」という熱狂には乗り切れない点も多々あった。

批判的な感想がチラホラあるのも分かる気がする。

 

個人的なスコアは5点満点中、3点5くらいかな。


以下、ネタバレしまくるので、まだ観てないって人は、注意してねー。

また、こんな弱小ブログだからないかもだけど、炎上したらやだから先に言っとくと、これは特撮映画マニアでもない素人の個人的感想なので、ファンの皆様、disってる部分があっても怒らないでね~~。

 シン・ゴジラに対する海外の反応はこちらにまとめたよ。

映画の筋自体は単調。

要約すると、突然「巨大不明生物」ゴジラがあらわれました!→人間(てか日本人という側面が強調されるかな)大騒ぎ!→なんとかするぞ!オー!国を守るんだ!→ゴジラ鎮圧~~!

というだけである・・・。非常にシンプル。

ま、怪獣もののサガというか、仕方ないとこもあるのだろうが、どんでん返しとか、複雑なサブプロットとかもなく、また東京大破壊のスペクタクル以外は、ほとんどが官庁とかでの会議シーンなので、基本的には淡々としている。

その会議シーンをもたせているのは、音楽やコマ割りによって作り出された緊迫感と、早口のテンポ、それに市川美日子などの個性的俳優の魅力だろうと思う。

しかし、緊迫感もメリハリなく全篇べったり続きすぎるので、だんだん疲れてくる。

 

ネット上で、留学生が漏らしていた意見「外国人には退屈だろう」というのは、よく分かる。

ヤフー映画にはこのような投稿があった。

本当に日本人のためのゴジラ。一人の留学生として、率直にそう感じた。他の国で上映しても、誰も面白く感じないだろう。
 日本政治や法律など過剰の情報、対アメリカの恨み、複雑すぎる専門用語。そういったものは、海外の観客にとって、どうでもいい情報だと思う。
 特に酷かったのは、人物、場所、武器や終盤の電車まで、登場するたびに名称の字幕をつけること。まるで北朝鮮の軍事演習を見ている感じ。
 そして、石原さんの英語、酷すぎる。

 英語は、いやあ、石原さとみがんばったと思うよー?といいたくなるが・・・。まあ、日本人に内輪受けなところは大きいと思う。

 やっぱり、このゴジラは2011年の大地震、津波、原発事故を圧倒的に下敷きにして作っているからだ。あの震災体験を味わい、今も、この国の政府の下で生きているからこそ、この映画は響いてくるし、リアルにもスリリングにも感じられると思う。

 ここ六年くらいの、日本の経験したことを肌身に感じていない外国人が見ても、あまりピンと来ないと思う。

 そして、もしこれが仮にロシアやアメリカ、よもや北朝鮮とかの他の国の映画だったとしたら、確かにあれだけ自国の軍隊の兵器を見せ付けるような演出にも、多少引くかもしれない。「何のアピールしたいの?」って・・・。

 字幕を付けること自体は、とても効果的な面白い試みだと思うが。

 日本人だから、「へえ~、こんなカッケー強そうな兵器所有してたんだ~日本って」とか思えるけど、それはそれで自画自賛的だし、100%肯定できないなあ。面白いシーンだし、必要なシーンだったとも思うけれど。

もしかしたら監督は、日本が持っている軍事力について、日本人に直視して欲しい狙いもあったのかもしれない。

 

まあ、とりあえず先に、シン・ゴジラの面白かった点を挙げておこうかな。

 

シン・ゴジラの面白かった点

庵野秀明特有のエグいゴジラ造型がイイ!

ナウシカの巨神兵の造型といい、エヴァの戦闘シーンの、流血のグロさといい、庵野監督の変態力 生々しい暴力描写は、やはり本作でも見れる。

ていうか、ゴジラ、グロ過ぎ・・・。

最初は蛇みたいな形態なんだが、長くて太い首に無数に空いたエラから、時々、

どびしゃあ~!!って血を撒き散らす。そして海面も赤く染まる。

きも~~~。

そして、人形みたいな、安っぽい、いかにも作り物っぽい目玉が微妙にきもい。

可愛さのかけらもない、徹底的なフリークスとして描き切っているところは良いかもしれん。小さい子が見たら、おねしょしちゃうわ。

 

ゴジラが進化~!??設定がおもろい。

今度のゴジラはなんといっても、個体の癖にどんどん進化し続けて形態をどんどん変えてくるっていうのが面白い。一匹だけで進化の歴史を超スピードで前進する。

体内には未知の放射性原子を持ち、遺伝情報も地球上のどんな生物よりも多い。もっとも進化したハイパー生物なのだ。

やっぱ放射能を食べただけあるな。放射線で突然変異が体内でどんどん進んでくんだろうか。

最初は、蛇みたいな、なんか弱そうな姿なんだが、どんどん巨大化し、ホキャアー!って鳴くようになる。それから、米軍に地貫通型ミサイルを投下されると、背中が光りはじめ、

口がおろちのように裂けて、薄紫色に輝くビームを発射!!

これがもう巨神兵そのものである。ビルやら橋やら簡単にまっぷたつ。さらに、背中のうろこからは、四方八方に防空ビームみたいのが出て、戦闘機打ち落としまくり。

もう最強なゴジラ。

最後は、ゴジラは単性生殖で増えて、そのうち翼を生やし大陸間を横断し始めるとかいう推測も出される。人類終わりですわーそうなったら・・・。

その姿も見たかったかな。

 あと、ラストシーンあたりで、ゴジラの尻尾がクローズアップされるシーンがある。自分は気づかなかったが友達が「人の顔みたいなのが見えた」とか言っていて、

「きもっ!見間違いじゃ?」と返したが、ネット上で他にも見た人がいて、

やはり意図的に、人の骨や歯っぽい要素も入れ込んで造型してあるみたいだった。

となると、ゴジラの中には人間の遺伝子も混ざっているんじゃ・・・という説がある。

 やっぱり、冒頭で消えた牧博士の遺伝子が、何らかのかたちで組み込まれているのかもしれない。

東京が大破壊されるスペクタクル

浜松町とか蒲田とか、東京駅方面とか、ともかく知っている光景が、どんどん破壊されていく。東京住民にとってはリアルである。

中には、職場が破壊されてスッとしたなんて意見も・・・。

破壊映像というのは、虚構であれば一種のカタルシスは常に伴うものである・・・。

それから、その時のCGも結構よく出来ていて、一昔前のちゃっちい特殊効果からは随分進化しているのだな~と思わされる。

あと、「無人在来線爆弾」とかいって、見覚えありまくりの山手線やら中央線、東西線がゴジラに向けて発射される。こんな手があったか!と感激。

 

個性的な豪華キャスト

大杉連、市川実日子、それに映画監督の塚本晋也まで、生物学者役として登場。変な存在感を発揮している。気づかなかったが、前田敦子も避難民というチョイ役で登場していたらしい・・。

そして、石原さとみ演じるアメリカからの使いなんかも、庵野作品でおなじみの、女っ気強い、強気な女の子という役回りで出てくる。へんてこな日本語と英語のちゃんぽんで喋る。

そうでなければ、陰気になりすぎてしまっただろう物語を、個性的キャラクターやキャストが、すくいあげている。

・・・んー、とりあえず面白かった点はこれくらいかな。

重要なのは、シン・ゴジラは、大震災の爪痕を非常に明確に刻んでいることだ。

 

シン・ゴジラは原発事故と重ねあわされている

ゴジラは、いろんなもののメタファーとなっているだろうが、中でも福島第一原発事故と非常に密接に重ねあわされている。あの時の日本と政府のパロディーと言ってもいいくらいに重ねられている。

まずゴジラは放射線を放出する。

政府は情報を小出しに、またなるべく事態を小さく見せようとする。

それから避難区域の設定など事故当時を髣髴とさせるシーン、倒壊家屋の映像、津波を思い出させる映像もある。

ゴジラが東京湾や、相模トラフに身を隠すとかも、大地震の震源のメタファーになっている。ゴジラの誕生の秘密とかかわりがあるっぽい、失踪した博士は、妻を放射能のために失い、人間社会に憎しみを抱いていたという設定も、リアルである。

それから、ゴジラを倒すためには、最早、核爆弾投下するしかないんじゃね?となるのも、非常によく似ている。映画の中では、このまま放っておくと人類の危機になっちゃうからと国連決議で、日本の東京、ゴジラがいる地点に核爆弾を投下することが決まってしまう、

 放っておけば、日本から世界の終末が拡散してしまう。それを防ぐための原爆投下である。

 

・・・実は、原発事故当時、これと同じような想定が(半分ジョークでだが)2ちゃんねる上でなされていた。あの時は、メルトダウン進行真っ最中で、緊迫感半端なかった。

「燃料棒10メートル露出!」とか報道されている時だ・・。

2ちゃんでは「俺の燃料棒も露出してきた・・・」とかいうコメントもあるくらい、カオスな状況になっていたわけだが、(エロスとタナトスは繋がっている・・)

その中で実は、福島原発の4号機までは、エヴァの「壱号機」「弐号機」に例えられていた。

そして完全にアウトオブコントロールになったら、四本の火柱が立ち昇り、日本どころか世界中に放射能を撒き散らすという、あり得ないシナリオも存在していた。

そこでは「まさか世界の終末が日本から始まるなんてな」という発言と共に、

「多国籍軍マダー??」「もう国連に核爆弾落とされるんじゃねえ、コレ」みたいな投稿もあったのだった。

庵野監督が、そういう事情を知っていたかは分からない。けれど、原発事故がもう少しで世界を大汚染するとこだったという事情と、今回の映画内容はリンクしている。

さらに、当時政治家が着ていた防災服と映画の中で皆が着ている服はそっくり。

 

ゴジラの口から血液凝固剤を投与しようとする「ヤシオリ作戦」では、大量にクレーンとホース車が導入されるが、これだって、そっくりそのまま、原発への放水である。

確か外国から特殊なクレーン車までかりてきて、原発に水を注入したのではなかっただろうか。

 

さらに、国を守ろうとゴジラ鎮めに向かう人々はクライマックスで、タイベック(防護服)を着ている。

完璧に、原発作業員の服装である。

ここには、もしかして、「本当のヒーローは原発作業員だ」というメッセージも読み解けるかもしれない。

現実に今、福島原発で冷却作業、汚染水処理などを行っている膨大な作業員の人々が、

いちばん「この国を守っている」と言える。ヒーローものみたいな華々しさはまったくなく、下請け孫請けにピンハネされながら、働いている作業員の存在は世間にまったく光を当てられない。

暗くなるからそんなニュースは流せないのかな?でもそれが現実だ。

被曝限界まで放射線を浴びて、身体を危険にさらし、過酷な労働条件のもとで日々闘ってくれている。そこに、政府要人の姿なんかない。それが現実だ。

(映画ではみずからゴジラ狩りに出動していたけれど、現実だったら、ほぼあり得ないことだろう。せいぜい視察くらいだ)

・・・そういうわけで、もう原発事故が起こったことが世間からほとんど忘れ去られている今、改めてあの記憶、いや現在進行中の原発危機を思い起こさせてくれたことは、ひとつの達成だろう。

・・・しかし、この映画にはかなり危険なところもあると思う。

この映画は観る人によって、どうとでも解釈出来てしまうからだ。玉虫色の映画である。

 

 

シン・ゴジラの危険な側面

この映画は、下手するとプロパカンダ映画にもなるな、というのが一番気にかかった点だった。

映画を見た後、一緒に見に行った友達が

「もう、ぬるい事務仕事なんか辞めて、防衛大臣になろうかなキリッ」

と呟いたのにビックリした。

彼は、ふだん、ぽへら~っ。ほんわほわーっとしてる、超草食系男子である。

その彼が突如「キリッ」と謎の使命感に駆り立てられてしまっているのだ。

 

彼をしてこれだから、今回映画を観た人の中で「日本を守る使命感」を得てしまった人は多分たくさんいるだろう・・・。

これには理由がある。一つには、権力欲とも密接に結びついているからだ。すなわち

何か「崇高な仕事」をしたいという使命感である。

シン・ゴジラの中では閣僚や官僚などが美男子多いし、苦悩するヒーローみたく、格好良く描かれていた。だからますます、そう思うだろう。

日本の命運がかかっているなんで、そりゃ生きがいも見出せるであろう。

・・・しかしちょっと待て。では、「原発作業員になろう!日本を守るために!」と思える人はどのくらいいるだろうか・・・。現実に、日本を守るのに、彼らは非常に大きな貢献をしている。

だが、「崇高な仕事」「格好いい」というスポットライトからは外れてしまっているため、尊敬されない。この偏りは、ちょっと考えたほうがいいだろう。

 

 それから、「日本を守る」だから「上官の命令にも従って任務を遂行する」のも、相手がゴジラだから、いいだろう。そんな謎生物が現れたら、選択肢なんてほぼないに等しい。闘うしかない。

 しかし、相手が人間世界のことだったら、事情は全然複雑になってくる。

本当に戦争だけが解決手段なのか、一体何のための戦争なのか、外交や世界情勢の分析もろくにしないまま、「日本を守る!」という感情に流されることは、とてつもなく危険である。

  繰り返すが、この映画の状況の中では「ゴジラ」とは半分自然災害のような存在なので、それと闘うのは、まったくもっておかしくない。

 けれど、こうして醸成されたパッションだけが、何か他の間違った方向に誤って流用されないかが、心配なのである。どんなに理屈が立たないことでも「国を守る!」さえ合言葉にしてしまえば、それに赴く行動はすべて美徳とみなされてしまうようなことが、また繰り返されないか。杞憂であればいいが。

 

映画全篇に漂う、日本独特の悲愴感も気になった。

日本人は、こうした悲劇的情緒に、とても酔いやすい。

この前見かけた英語表現だと「teeth clinching」(歯をくしばって耐えるような)悲愴感だ。

一歩間違えると、そこにどっぷり浸かって冷静に状況判断出来なくなる。

アメリカ映画だったら、もうちょっとジョークの二つや三つくらい飛び交っていたろうに、こういう思い詰めてどんどん深刻になるムードっていうのは、日本特有かもしれない。

 

人間にとって、何か大きなものに溶け込んで一体化するというのは、究極の快楽である。

「何かのために命を犠牲にする」というのだって、そこに含まれるだろう。

太平洋戦争時の「海行かば」の歌詞なんて正にそうである。(気になったらググってね)

権力者にとっては、そういう感情は非常に群集操作に使いやすい。

そこだけは注意した方がよいだろう。

 

今回の「シン・ゴジラ」で根拠のない「使命感」「悲愴感への陶酔」をインストールされてしまった人たちは、何かことが起こるとすぐに「戦いに出る!!」とか言い出しちゃわないか心配なわけだ。

時には、戦争にすること自体が、かえって国を滅ぼすことというのはある。

理性的に考えず、感情に流されるのは危険だ。

今回は相手がゴジラだから、戦いに出るべきか否か、という問いは、回避されていたのだが。

 

シン・ゴジラの悲愴感に酔うような表現にも、ちょっとそうした危険性を感じてしまったわけだった。

 

さらに、デモを揶揄しているかのような扱い方も気になったところだ。

これはおそらく原発関連のデモを想定しているのかもしれない。たとえばドイツやイタリアでは日本の原発事故のあと、何万人規模のデモが日本よりもスムーズに発生した。

デモは選挙以外の場所で、人々が自分の意見を示せる民主的な場所でもある。

庵野監督は、あれだけの人的要因による大災害が起こった後ですら、日本人は江戸時代の農民のように、屈従して何もいわず、黙っている方が良いと言いたいのだろうか・・・?などと思ってしまった。

愚かな大衆は黙っていろ、というエリート主義に、見えてしまわなくもない。

あの事故で、「国の中央にいる偉い人達」は「絶対に正しい!」「文句をいわず従え」という、日本的なお上崇拝主義は、幻想であることが多少なりとも分かったあとにも関わらず・・・。

 

 確かに、こういう点を考えると「エリート主義が鼻についた」という批判にも頷けるところがある。

 

そして、大震災以後のことを参照しているからといって、この映画は、深く何かを考えさせるようには出来ていない。考えるには、より詳しく様々な資料や情報にあたらなければいけない。

だから、原発事故や日本の国際的位置などを今一度突きつけてくれたことは良かったが、

深みはなく(あくまでエンタメ)、両刃の剣といえるだろう。庵野監督は、やはりエヴァシリーズの方がなんといっても、素晴らしい傑作だったと思う。

 

・・・長くなったが、感想はこんなところですじゃ。

 震災後の映画ということでは、個人的には大林宣彦監督の「この空の花」が凄まじかった。映画というジャンル自体が狂ってしまったんじゃないかとう、マジカル大爆発な作品だった・・。

 

 あと、日本のアニメというのは、戦前に軍歌とかで表現されていたようなヒロイズムや任務への忠誠といったモチーフが、ぞんぶんに引き継がれている分野だ。そのアニメ畑から、こうした、国家意識を問う作品が現れてきたことには必然性があるように思う。

 アニメ界の感性が現実日本のヒロイズムを表現した作品としては、画期的位置にあるかもしれない。

アニメが受け継ぐ勇ましさ称揚の感性については、そのうち調べてみたら面白いかもな~。

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