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ちょい虹:映画情報

人生道草しまくり迷いまくりのstray dogが遂に故郷を見つけるまでの物語。

「君の名は」を今更観たぞ!人気の理由を徹底的に考えた【ネタバレ感想あり】

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興行収入200億円突破!で、邦画では「千と千尋の神隠し」に次ぐところまで来た、ミラクルヒット中の「君の名」を観たぞ!中国人のルームメイトによると、今は中国でも大ヒット中だとか。さらに、アメリカのロサンゼルス映画批評家協会のアニメ部門でも受賞しちゃうし、来年はアメリカでも広範に公開されるという・・・。

 なかなか凄いことになっている。

 はてさて、観て思ったのが、確かに美しい映画だけど、ここまで大規模にヒットするのは不思議といえば不思議な感じもあった。今までの新海作品とどう違うのか??とか感想がてら色々考えてみることにする。

 

新海誠監督「君の名は」のあらすじ

 三葉は、日本の片田舎に住む女子高生。喫茶店もなく、なぜかスナックが二件あるだけという、刺激の少ない、でも自然豊かな場所で暮らしている。山の中には昔隕石が落下してできたという、広大な窪地が広がっている。お父さんは町長さん、お母さんはすでにこの世を去り、お婆ちゃんの家は地元の巫女さん的なことをしている。その神がかり的なことをやりたくなかったお父さんは家を出てしまい、三葉はお婆ちゃんと妹と一緒に暮らしている。

 一方、タキは三葉が憧れる、大都会東京でイケメン(??)高校生をしている男子だ。レストランでバイトして、綺麗な先輩に憧れたり、学校でクラスメートとつるんだりして、いたって普通な毎日を過ごしている。

 ところがいつの日にか、二人は夢の中でお互いの体の中に入れ替わってしまうことになる。女の子の体で目覚めたタキは、思わず胸をにぎにぎしてしまうし、男の子の体で目覚めた三葉は、トイレで立っておしっこして「この夢超リアル・・・・・」と困惑することになる。そんな二人だが、ケータイメールやノートへの落書きで、なんとか連絡を取る。

 だが、ある日三葉の地元で、お祭りがあり、そこで彼女は接近してくる彗星を目にすることになる。折から、彗星が大接近してきていて稀に見る天体ショーだと騒がれているのだが、この彗星が二つに分かれているのだ・・・。その日から二人の入れ替わりは止み、連絡が途絶えてしまう。タキは三葉を探そうと、体が入れ替わっていた時に見た景色を頼りに、東京から出て地方に小旅行する。

 その時目にしたのは、巨大隕石が衝突して出来たクレーターだった。そこにあった村は彗星の衝突により三年前に破壊されてしまっていたのだった・・・。しかし、タキは時間はつむがれ、ねじれ、戻るものだと入れ替わっていた間に習った。本当に時間を戻すことが出来るのか??

 そして、一回も現実で会ったことのない二人は、巡り合うことが出来るのだろうか?

 

映画「君の名は」なんでこんなに大ヒットしたの?理由は?【ネタバレ】

 さて、感想がてら、空前の大ヒットとなった要因を考えてみようかと思う。海外のレビューを見ると、大体皆「風景描写がめちゃんこ綺麗」「切ない」という二点については言及していた。なので、自然描写、風景描写の美しさや純愛の切なさは鉄板だろう。だが、それら二点だったら、以前までの新海誠監督の作品にも流れていたものだった。では何が違ったのか??

集合無意識に訴えた?

 まず、今回の作品は現実の風景に取材した、身近な風景がふんだんに取り入れられている。タキの暮らす東京は、千駄ヶ谷の駅や代々木の電波塔など、近くを通ったことのある人は分かるランドマークが描かれている。ご高齢の人の中にも「若い頃の恋人と代々木駅で別れたから、それを思い出した」とか、現実の風景から、自分自身の恋愛や出会いを喚起されて、共感した人もいるようだ。自分の青春と重なって感情移入しやすいように作られている。

 一方で三葉の暮らす田舎は、実際の街の名前は出てこないものの、大きな緑のクレーターがある景色はたぶん、熊本県の阿蘇山のあたりがモデルなんじゃないかと思わされる。(推定)

カルデラ内壁

  阿蘇というのも、途方もない場所で、火山が大昔に大噴火した巨大カルデラの中に街がある場所だ。巨大隕石のせいではないが、クレーターのような地形の中に、緑豊かな高原が横たわっているのは、とても三葉の暮らす糸守町に近いものがある。さらに、糸守には巫女の伝統があるが、三葉はその家系なので、神社で酒造りに参加する。三葉の役割というのは、新しくできたお酒を口に含んで少し咀嚼し、枡の中に口から戻すというもの。これは、沖縄など南方の方で見られる、伝統的な儀式から発想しているのだろうと思う。

 ※三葉の住む村は、飛騨高山(三葉はここの方言を喋っているとか)や諏訪湖辺りなんじゃないかという説もあるようだった。山岳地帯が多い日本列島には、「君の名は」の糸守町を彷彿とさせる景色がけっこうたくさん点在しているのかもしれない。

 こうやって作られたものは、三葉の「半身」となり、後でタキを三葉の体へと入れ替わらせるための重要な媒介となる。

 こういうふうに都市も田舎もビビッドに風景や人々の心象が切り取られていて、これが集合無意識に響いてくるんじゃないかと思う。それも日本人だけじゃなくて、都会風景やそれに対比される農村、それに、現代人が失いつつあるスピリチュアルな伝統的儀式などは、世界的に人の心に訴えるものがあったのではないかと思う。

 また、体が入れ替わる話というのも、古代から人類の物語にはたびたび登場するモチーフだと思う。現実世界では、自分の見ている世界しか味わえないという大きな限界を私たちは持っている。この限界を超えて、他人に成り代わってみたい、というのは、普遍的な願望なのだろうと思う。今回新海誠監督がインスピレーションを受けたのは、日本古典にもある「とりかえばや」のモチーフらしい。(男女が入れ替わってしまう物語)

時間についての考察、取り返しのつかなさの感覚

 それから、人間なら誰しもが一面は直面するであろう、取り返しのつかない時間についての感覚や、考察も人の心に訴えてくるものがあったのではないだろうか。

 誰しもが一度は「もしも時間が巻き戻せたら・・・」「もしもあの時・・・」と思って切ない思い、悔しい思いをしたことはあるのではないだろうか。巻き戻せない時間の中に生きているというのは、われわれ生きるものの大前提である。この映画のモチーフの一つが、時間だ。「君の名は」の中では、それは「結ぶ」ことと結び付けられる。時間は、時に曲がり、遡り、結ばれるもの。もう一度やり直すことが出来るものとして描かれている。

 二人の体は入れ替わるのだが、実はこの時点でもすでに時間はねじれていた。タキのいる現在時では、三葉の暮らす糸守町はすでに三年前に隕石の衝突により壊滅している。タキは三年前の三葉と体を入れ替わっていたのである。三葉の家系では、お婆ちゃんも、昔同じような夢を見ていたらしい。誰か違う人と体が入れ替わってしまう夢である。「もしかして、糸守の人達が夢で誰かと入れ替わってきたのは、隕石の落下について警告するためじゃないか」とタキは考える。

 三年前に町は壊滅した。でも、タキは三年前の三葉になれる。もしかしたら運命を変えられるかもしれない??と思うのだ。三葉になったタキは、友人たちを巻き込んで、小さな町の放送網を乗っ取り、隕石落下前に人々を避難させることにする。今は、災害の犠牲者リストに名前が載っている三葉だが、彼女と町の人々を救うことが出来るかもしれないのだ。

 2011年の震災この方、多くの人が「取返しのつかなさ」を味わってきた。「君の名は」の中にも「復興庁」「災害対策」など、何か既視感のある文字列がたびたび姿を見せる。直接的にはほとんど、震災に言及はしないものの、千年前にも起きたという隕石衝突と大地震、それに入ってはいけない区域になっている糸守町には、原発震災を思い出させられるし、糸守町が阿蘇に似ていることからも、熊本地震についても想起させられる。そういったことがなくても人生の時間は巻き戻せないのだから、なおさらこのモチーフは染みてくるのだろう。

  彗星が、まず二つに分かれ、砕けた無数の破片が落下してくるという映像も、何かとても切ない印象のイメージだ。唯一の光が砕けてバラバラに散るというのは壮麗な花火のようでもあるし、何か喪失の象徴ともなっているようだ。

誰か大切な人がこの世のどこかにいるのに、忘れてしまう

 それからもう一つ、誰しもが青春期に味わうだろう、あの切ない感覚が、特に後半には全開である。まず「誰か、私だけのための人、私にぴったりふさわしいような恋人か親友が、この世のどこかにいる。同じようにどこかで星空を見上げている」というような切ない思いである。ティーンズの時には、こんな感覚を味わうことは多い。

 三葉とタキは、体が入れ替わるという点では、ものすごく親密で文字通り一心同体というような状況を味あわされているのだが、現実世界で出会ったことは一度もない。夢から覚めると、名前すら思い出せなくなってしまうこともある。これは「私にピッタリ、でもどこにいるか分からない」と未知の、理想の恋人を慕う時の気持ちにそっくりなのである。

 それに、私たちは人生の折々で、「何か大切なものをどこかに置いてきてしまったんじゃないか」「何か決定的に大切だったはずのものを人生のどこか紛失してしまったんじゃないか」などと思うことがある。それは恋人だったり、するべきはずだった仕事だったり、行くべきだった場所だったり、色々なのだが、私たちに選択の自由があるだけに、ジレンマである。そして具体的なものではなくても、どこかで、何かもう一つの人生があり得たのではないか、と思ってしまうような感覚というのは、一回しか生きられない私たちにはつきまとっているのである。こういうかけがえのなさに、「君の名は」訴えてくるのだ。

会えそうで会えないのが切ない

 一番キュンとした場面といえば、二人がクレータ―外縁の山の上で出会うところだ。二人の間は三年間違っている。だから、二人は同時に同じ場所に来ているのに、お互いの姿が見えない。でも気配は感じる。でも手を伸ばしても触ることはできない。

 さらに、三葉は、三年前、まだタキが三葉を知らない時に、思い切って東京にタキに会いに来ていた。偶然電車の中でタキを見つけて話しかけるが、タキはまだ三葉を知らなかったので「変な女・・・」と思うだけであった。こういうすれ違いは、恋愛ドラマの王道であるが、やはり切ない。

ハッピーエンディングなのも人気の秘密か

 今までの新海誠監督の作品と大きく違っているのは、ハッピーエンディングなところかもしれない。今までの新海作品は、大抵が別れていき、すれ違っていく男女を描いていて、ほろ苦い切なさが余韻として残るものが多かった。幸福感よりは、人生の取返しのつかなさ、ほろ苦さ、を描いていたのである。

 この映画も、いったんは喪失という方向に向かうかに見える。だが、時間は巻き戻り、高校生達の機転で村人も救うことができ、「隕石衝突するも町民は無事」と新聞の見出しは変わり、奇跡的に糸守町の人々は助かった。だから、三葉もまだ生きている。そして、成人した三葉は東京に来ていて、ある日階段で、就職活動中のタキとすれ違う。タキは、自分が夢で入れ替わっていた時のことはすっかり忘れてしまっている。でも、すれ違った二人は、お互いに振り返る。そしてどこかで会った気がする・・・と会話を始めるのである。

 二人がこの先どうなるのかは分からない。でも好きな人と巡り合えて終わるという、これは明確なハッピーエンディングだ。なので、もちろんほろ苦さも混じっているが、最後には希望が残るのだ。切なさだけで終わることが多かった今までの新海作品と違うのは、この点かもしれない。この点が、この作品をここまで大人気にした理由の一つかも。やっぱり皆、困難な時代だからこそ希望を求めているのかも。

RADWINPSのサントラと映像の調和

 新海監督自身も、ファンだというRADWINPS。彼らはみっちりと「君の名は」の制作過程に関わっており、オリジナル楽曲を提供している。そこで彼らの曲に合わせて監督がアニメの演出をつけるということもあったとか。音楽と映像のコラボレーションがけっこう大々的に行われているのである。映画の物語をイメージした歌詞もばんばん歌われる。

 これはたぶん賛否両論ある側面だと思う。外国の観客の中には、「なんかミュージッククリップとかサントラみたいになっちゃって興覚め」という低評価もあった。確かに、悪くはないのだが、クライマックスの部分が、ほとんどミュージッククリップみたいな印象を与えてしまう感は拭えないかも・・・。なので映画的表現がそこでは弱まってしまう感じがした。

 でも一方では、軽快でポップで、ヘビーになりすぎないという点では貢献もしている。だから割と一般的には、受け入れられやすいのかもしれない。スタジオジブリの映画では、こういうポップさというのは見られない。

 もしも宮崎駿が物語作家だとしたら、新海誠監督は詩人だという比較は出来るかもしれない。それほど細かい心理描写はないものの、切ないという感情や、風景描写の美しさ(それ自体に感情が織り込まれているようなハッとするほど綺麗な風景)、それに音楽との結びつきなどは、新海監督の映画を一篇の映像詩にしているのではないかと思う。息を飲むほど美しい映像詩である。一方、やはりアニメ映画の監督としてのバランスと物語の奥深さではジブリが断然やはり群を抜いている気がする。

 ただ、新海監督も、今回から伝統や古代につながる神話的要素を盛り込んできたのが、この先もこういった集合的無意識のようなところを探っていければ、追いつく可能性はあるかもしれない。新海監督は、「切ない」「青春」「純愛」というところにあまりに焦点を置きすぎているので、もっと広いテーマを扱えるのかというと、そこの展開は読めないが・・。

物足りなかったところは?

 最後に物足りなかったところをあえて挙げてみよう。一つには、全体的にちょっとライト過ぎたかもしれない、というところだろうか。前半の入れ替わりシーンは、割とあっさり過ぎていって、ポンポン展開して飽きないというのはあるのだけれど、一つのシーンで動きや感情をじっくり見せるというのは少ない。何かドラマシリーズの「総集編」ダイジェスト版を見ているようなスピードで進んでいくのである。これは一長一短かも。

 あとは、三葉になったタキが「今夜隕石が落ちるから皆を避難させなきゃ」と皆をあっけに取らせるようなことをいきなり計画しだしても、友達があまりにすんなりその計画に従うのは若干不思議だった。まあ物語の進行上しょうがないとは思うのだけれど。

 それからキャラ造形という点では、そんなに印象に残るキャラは少ない。タキにしても三葉にしても、いたって普通の高校生で、その友達も家族も特別な特徴はない。例えばナウシカのユパ様やら、クロトワやら何やら、一回見たら心の中に住み着いてくるような、印象深い登場人物というのは出てこない。容姿にしても平均的なアニメの少年少女に描かれていて、特に特徴はない。もしかしたら、特徴のなさが、匿名的だから、大衆の共感を呼びやすいということはあるのかもしれないけど。

まとめ

 そんなわけで、「君の名は」大ヒットの理由をあれこれ考えてみたのだった。個人的にはセンチメンタルな感覚が織り込まれた、美しい輝くような風景描写と、誰もが持つ普遍的な、運命の恋人への憧憬や、人生を一回しか生きれないことに端を発する切なさ、時間への感覚、そして神話的な集合無意識、そういうのが組み合わさって、こんなに人気を博したのかなあと思った。

 ファンタジー、恋愛ロマンスなどジャンルの垣根を超えた美しい映像詩だった。

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